Fantasy

「どこまでが本当……「事実」なんだろうな?」
 ハタキで自分の肩を叩きながら呟いたカリオンに、書棚に本を戻していた俺は振り向いた。独り言のようにも聞こえたが、カリオンは返事を待っているような気がしたからだ。──もっとも、これはここ最近ずっと続いているやり取りだから、若干うんざりしているのも否めないのだが。
 机に置いたランプの光がカリオンの顔に陰影をつくっている。ゆらりと揺らめく光は、もしかするとカリオンの内心だったり……しないか。
「ハタキ振り回すなよ。火事になったら大ごとだ」
 抱えていた本を手近な丸椅子にとりあえず置き、俺はカリオンに注意した。カリオンはひとつ唸った後に小さく舌打ちしたが、ハタキを掃除用具入れに大人しく放り込んだ。
「最近乾燥してるしなー。この書庫なんて火が移ったらあっというまか」
「だろうな。そしたら、ここに眠る「貴重な財産」もパアだ」
 両手を広げて書棚に詰め込まれた本を指し、軽口を叩いてみせる。その仕草にカリオンは笑ったが、次の瞬間には神妙な顔をしながら腕を組んだ。
「……火の不始末に見せかけて、「あちらさん」が仕掛けてくるなんて可能性もあるか?」
 上目遣いでカリオンは俺を見た。どうやっても話を戻したいらしいカリオンに、俺は諦めの溜息をついた。
「さあな。あり得ない話じゃないと思うが、そんなことしたら世間はますます疑うんじゃないか? 自滅もいいとこだろ」
 俺達が──いや、俺達の師匠……先生が発表した研究は、いつのまにか世間に広く知られるようになっていた。こんな大ごとになるなんて俺なんかは思ってもみなかったが、蓋を開けてみればとんでもない大旋風が吹いた。
 まず、先生の本が飛ぶように売れた。先生が今まで世に出した本の部数記録を軽々と超え、それを驚きつつも喜んでいるうちに重版がかかった。それも、何回も。
 これは大変なことになった、そんなふうに俺達が思っている間に新聞社や出版社から先生に取材の申し入れがいくつもあった。冷静な先生は信頼できる社にだけ取材に応え、多くの特集が組まれた。それでも捻じ曲げられて伝えた記事はあって、憤慨するやらやるせない気持ちになるやら不安になるやらで俺達は忙しかった。
 ともかくも、そんなこんなで先生の研究成果は世に広まった。……そうして、そこからが大変だった。いや、これは現在進行形の話か。
「教会だってそんなにバカじゃないだろ、たぶん。先生が消されてないのがその証拠だ」
「物騒だな、お前」
「お前が不安がってるから、安心させようとしたまでだ」
 俺がそう言い放つと、カリオンは苦笑して天井を仰いだ。
 まあ、カリオンが懸念していることも分かる。明らかに教会は先生を敵視している──そりゃそうだ、先生の研究は教会の根幹を揺るがしてしまうようなものなのだから。
 三年前にひょっこりと公開された「デュライ白書」。教会の手によって長いこと(なんと四百年!)隠されてきた白書を巡っては先生とグレバドス教会ミュロンド派は激しい攻防を繰り広げた。それこそ消すか消されるかの戦いで、俺達までもが命の危険を心配しなきゃならなかった。
 それは今も続いていて、教会の監視は厳しいままだ。いや、「あの本」が今年出てからはさらに厳しくなったかもしれない。あれが世に出て、世間は教会に疑問を持ち始めた。
 そのきっかけとなった、あの本とは。
「……なんか、ファンタジーなんだよな」
 カリオンはぼやくような口調で言った。
「先生の研究はさ、どこかプカプカ浮いてるような感じがして。史実と想像?がごちゃまぜっていうか……俺がこう言うのもなんだけど、本当かよって思うんだよな。いや、当時の教会の愚策は本当だと思うぞ? でも、魔物だー聖石だー神秘の力だーなんていうのはちょっと信じきれないかなーって。ましてや「真の勇者」って」
 カリオンが言わんとしていること、これもやっぱり分かる。白書を解読した当初は俺も思ったからだ。
 勇者? は? どうしたどうしたオーラン・デュライ?
 ……なんじゃそりゃってそう思った。
「白書にそう書かれてあっただろ。お前も読んだはずだ」
 だが、先生の力を借りながら白書を読み進めていくうちに分かったことがある。今まで謎だった獅子戦争のあれやこれやに「勇者」の存在を添えてみると、物事の辻褄が驚くほどに合うのだ。
 エルムドア候の誘拐。ドラクロワ枢機卿の変死。リオファネスの事件。ベスラの戦い。次々と消えていった有力者達。権威を増した教会の呆気ない転落。謎は多かった。
 その裏に「勇者」がいたのなら、あるいは。
「読んだけど……」
 カリオンはなおも唸り続けている。
 やれやれなことだ、俺はそう思って肩を竦めた──そのとき。
「物事を安易に信じ込まない、疑問を持つということは大事なことだね」
 書庫の戸口からかけられた穏やかな声に、俺とカリオンは慌てて振り返った。
「ア、アラズラム先生」
 動揺しきったカリオンを先生は──アラズラム・J・デュライ先生は目を細めて眺めた。それからひとつ頷き、ゆったりと微笑む。カリオンが抱いている疑問のどこかを先生は気に入ったらしい。
「読んだけど、の先はどう続けたかったのかな?」
 興味津々といったふうで先生はカリオンに促したが、そのカリオンは助けを求めるような視線で俺を見た。いやいや、そこで助けを求められても。
 へなちょこカリオンの助力嘆願の視線は無視し、俺は先生に声をかけた。
「先生、書棚に寄りかからないでください。棚が倒れます」
「ああ、それはすまない。だいぶ片付いたようだね」
 俺の言葉に、先生は書庫を満足そうに見渡した。散らかし魔の先生に請われて研究室と書庫を片付け始めて早数日、床に積まれていた本も大体が書棚に収まった。……まあ、次の本を書き出す頃には元通りになっているんだろうが、今は考えないでおく。
「頑張りましたからね。で、カリオンは「あの本」をファンタジーだと思っているようですよ」
 話を逸らすと見せかけて、俺はさっきのやり取りを先生にあっさりと話した。あわわ、と古典的な慌て方をしているカリオンのことはやっぱり無視する。
「ほほう?」
 先生はカリオンに視線を送った。特に言葉はかけないが、説明を促す際には先生はこういった視線で学生を見やるのだ。
 そんなことは俺だけではなく、カリオンも熟知している。天井を見上げ、首を左右に振り、それから居直ったような顔つきをしてカリオンは口を開いた。
「あの本──、「ブレイブストーリー」は先生が描いた作り話……創作かなと思うことがあるんです。公開された白書を元にして、そこに先生がスパイスを振り入れた」
 先生は頷きながらカリオンの言葉に耳を傾ける。
「不思議な力、なんてあったんでしょうか。勇者なんていたんでしょうか。獅子戦争のいくつもの謎に関わっていたなんて、そんな都合のいい人物は──」
「存在しなかったかもしれないね」
 カリオンの疑問に答えるように先生は言った。
「そもそも、白書にある「真実」とは何なのか。そこから考えてみる必要があるといえよう。君達も知っているように、「真実」は「事実」と似て非なるものだ。オーラン・デュライが記した「真実」に、私が導き出した「真実」。そして、君達自身が掴み取る「真実」。どれも違うのだよ」
「はい」
 そう説いた先生に、カリオンのみならず俺も頷いた。
 面白い、と思ってしまうのは先生のこういうところだ。教会と対峙するときは烈しい覇気で論破してみせるのに、身内には自らの考えを押し付けようとしない。そういえば、「あの本」もそうだった。
 一読した感じは「少し後味の悪い物語」。だが、読んだ後に「何か」が残る。
「しかしカリオン、君の疑問はもっともだ。歴史学者としては説得力がある「事実」を揃えたいところだが、当時の文献が少ないのが痛いね」
「教会や国がまだまだ隠しているんでしょうか?」
 そう訊ねた俺に、先生は「どうかな」と腕を組んだ。
「そのほうが「真実」を知りたい私にとっては嬉しいが」
「その結果が先生の考えに反するものだとしても、ですか?」
 カリオンの食い気味な問いに、先生は頷く。
「別の側面から物事を見る、そういったことも必要だと思っている。白書だけでは偏った考えになってしまうからね。それに」
「それに?」
 言葉を切ると、先生は俺達に片目を瞑ってみせた。

「面白いことは多いほうが楽しいのさ」

あとがき

アラズラム氏のゼミに所属している学生さん達のお話でした。「あの本」が出るまではアラズラムの著書はそれほど売れていなかった(研究書ということもあって)と思っています。「怖いもの知らずだな」と一部の有識者には思われていたくらいなのかな、と。でも「あの本=ブレイブストーリー(FFT)」は物語仕立て(?)で読みやすい。口コミでウケたんじゃないかなと妄想してみました。

学生さん達(主人公とカリオン)の設定もあったのですが、横道に逸れそうだったので今回は割愛。まあ、色々な経緯でやってきたようです。

2022.06.05