Academia

「ラムザがさ、言ってたんだよ。勉強は苦手だったって」
「へえ、そんなことを?」
 唐突に話題を変えた機工士へとオーランは視線を向けた。修理の間の時間潰しにと持ち込んでいたカードを集め、手元の鞄にしまい込む。
 そ、とムスタディオは修理対象である天球儀をためつ眇めつ眺めながら頷き、「あー、そうだろうなって思ったんだけどな」と続けて笑った。
 ムスタディオの言葉に、オーランは目を細めた。なんとなく分かるような気がした。
 考えてみれば、ラムザと腹を割って話し込んだことはこれまでにはない。戦時中はばったり出くわしたこともあったが、それも僅かな時間だった。助けられたり、激励したり、託したり、託されたり……そういったことばかりで。
 そうこうしているうちに戦が終わり、ラムザはこの国を去った。彼の親友である目の前の機工士に言わせてみれば「その辺をフラフラしている」らしいが、自分は未だラムザと再会を果たせていない。
 それでも、ラムザの為人について意外だと思うことは少なかった。ムスタディオの言葉通り「そうだろうな」と概ね想像がつく──そのほうが余程不思議かもしれない。
「思ったんだけど……、まあ、でも? 僻みとかも混じってるんだろうけど、ラムザのそれって、結局は恵まれし者とか与えられし者の特権だよな、なんて思ったりもした。……そんなつもりでラムザは言ったんじゃないと分かってはいるけど、さ」
 教官の話が長くて眠かった、とそう言って笑ったラムザに、ムスタディオはうまく言葉を返せなかったのだと言う。そうして、モヤモヤしたものを少しばかり抱えた──。
「ムスタディオは勉強したかったのか?」
 オーランが問うと、ムスタディオは大きく溜息をついた。修理を終えたのか、手にしていた天球儀を作業机に慎重に置くと、「少しはな」と呟く。
「ゴーグは徒弟制度だから、学校ってあんまりないんだよな。ライオネルにはそれなりにあるけど、殆どが修道院の付属で」
 オーランはムスタディオの説明に頷いた。
「グレバドスがー教会がーアジョラがーって前に、その手の「勉強」には俺は興味なかったからさ、学校なんて重要じゃないって思ってた。遺跡の発掘やら遺物の復元やらに携わってれば、読み書き計算なんて自然と覚える。それで十分だって」
 でも。ムスタディオの話は続く。
「ラムザの話で、学校ってのも色々あるんだって知った」
「そうだな。ひとえに士官アカデミーといっても、ラムザのように将来を嘱望された……本人の意思には関係なく、だが。そういった「普通の」士官候補生が多いのは事実だね」
 実際、当時は貴族や領主といった上流階級の子弟がアカデミーの大半を占めていた。今はもう少し広く門戸が開かれているのかもしれないが。
「でも、それだけじゃないんだろ?」
「ああ。さらに突き詰めるなら大学に行くのだろうが、大抵の学問はアカデミーが担っている……懐かしいな」
 工房の天井をオーランは見上げた。太い梁が渡してある天井は存外に高いが、それは様々な発掘物を調査し、復元する目的もあるからだろう。
 ──アカデミーの天井も高かったな。
「そうか、あんたもアカデミー出てるんだ。やっぱ、占星とか天文とか?」
「いや、違う」
 ムスタディオの推量に、オーランは緩く笑って否定した。表向きにはそういった役目を担っていることになっているが、自分の「本業」は別のところにある。……いや、あったというべきか。
「俺の専攻は政治や軍事といった類だ。といっても、自分がどこかの領を治めるわけじゃない。国の治世に直接携わることを期待されたわけでもなかった」
「は?」
 それはそれで納得、という顔をしかけたムスタディオが首を捻る。
「どういうことだ? あんた、伯の右腕のようなもんだったんだろ? だったら」
「政治にも色々あるのさ」
 ムスタディオの固定観念はもっともだとオーランは思いつつ、片目を瞑ってみせた。それでも不服そうな表情を隠さない機工士は「変なの」とぼやく。
 政治とも言い切れないか、とオーランは思った。
 勿論、そういった分野については遍く学んだ。多くの知識はアカデミーで学ぶ前に既に得ていたから退屈な講義もままあったが、それでも興味深い事柄は数多あった。教官と議論し、図書館に入り浸ったこともある。それらの日々は楽しかった。
 その先の未来、自分に期待されていた役回りが「裏」にあったとしても。
「そんなに変な顔をしないでくれ。天文学が学べたらよかったとは思うが、それは選べなかった。アカデミーで学べただけでも感謝しているよ」
「は?」
 オーランの言葉を無視したのか無意識なのか、ムスタディオがますます怪訝そうに首を傾げる。まったく同じ声色で訊き返され、オーランは吹き出した。
「笑うなよ。あんた、アカデミーに入るには何の不足もないだろ?」
「そうかな。俺の親は名ばかりのジェントリだったから、あそこに入るには少し難があった。まあ、義父上が便宜を図ってくれたからね、実際には何の問題事も起きなかったが」
「へえ……。あんたは根っからの貴族様だと思ってたけど、違ったのか」
 意外だな。ムスタディオはそう言うと、手持ちの工具を器用に回した。
「ああ。……もしも貴族だったなら、そんなふうに考えたことは幾度もあったがね」
 羨望を抱いた日々があった。
 ──結局、田舎騎士なんかでは掴めないものがあるな。
 珍しく苦み走った笑みを浮かべ、そう言った父。
 ──何か、あったの?
 問うた幼い自分の頭を父は撫で回した。そうして、「何もないさ」と自身に言い聞かせるように繰り返していた。
 あのとき、父に何が起こっていたのだろうか。何故、父はあんなことを言ったのか。けして「持たざる者」ではなかった身なのに、それでも彼は自身をそう評した。
 なんでもない。父の言葉を幼子は額面通りに信じ、そうして忘れた。心のひだに引っかかるものはあったが、忘れようとした。おそらくは、無意識の内に恐れていたのだろう。
 何故。繰り出した問いの答を身に浴びるには、自分は幼すぎた。
 思い出したのは、父が戦死したと聞いたとき。それなりの功績を果たしていたはずなのに、父は何の栄誉も与えられなかった。殆ど一兵卒にも近い扱いで棺も運ばれなかった。
 高位にある者で父の死を悔やんだのは、義父だけ。亡骸のない父の弔いの折に彼は自分の頭を撫ででくれて──、後に未来を切り開いてくれた。
 今に不満があるわけではないのだ。だが、心に燻るわだかまりは消えはしない。
 もしも、貴族だったなら。父は憂いなく、誇りを胸に抱いて死んだのかもしれない。
 もしも、貴族だったなら。自分は思い描いた未来を歩んだのかもしれない。……決めつけられた未来だったかもしれないけれども、それでも。
 そんなふうに多くの仮定が存在する。時々夢想してみたりもするが、それらの殆どは「今」には無意味だ。
「おい?」
「ああ、すまない。……そうだな、アカデミーに入りたいのなら今からでも遅くはないと思うが」
 自身の考えに入り込んでしまっていたオーランは話の矛先を変えた。自分でも少し強引だとオーランは思ったが、ムスタディオはそれ以上追求するのをやめたらしい。オーランの言葉に鼻白む様子を見せた。
「今更だろ」
「そうでもないけどね。自身に足りないものを知った者がやって来ることは珍しくない」
 ムスタディオは話に乗らないだろう。そう思いながらも、オーランは言ってみた。彼はアカデミーを必要としていない。足りないものは確かにあるだろうが、それがアカデミーにあるとは思えない。
 だから。
「やめとく。暇じゃないし」
 考える素振りも見せずに即答したムスタディオに、オーランはただ笑んだのだった。

あとがき

ムスタディオが忌憚なくラムザをディスるところから始まっていますが、徐々に変化を遂げたとはいっても「やっぱり貴族」のラムザに何か抱えているものは少なからずあったのではないかと思っています。価値観とか住む世界の違いとか。そこらへんはFFTイヴァリースの世界ではどうにもならない部分でしょうか。

一方、オーランのお父さんはどういった地位の人だったかは不明。しかしなんとなーくオーランは「根っからの貴族」ぽくないという印象を持っていまして、そんなわけで少し地位の低い感じだったのではと思います。伯とオーランパパは戦友でしたが、主従にも似た関係性ではないかなと…もうここまで来ると妄想ですが、どうなんだろう。

しかしオーランとムスタディオにはなんとなく「不思議な仲間意識」がありそうな気がするんですよね…。学者肌と職人肌はぶつかりそうですが、なんとなく話が盛り上がりそうです。

2022.02.05