Rumor

「噂を聞いたわ」
 部屋に入ると同時にそう切り出したバルマウフラに、机に向かっていたディリータは顔を上げた。
「噂?」
 ディリータが訊き返すと、バルマウフラは何かを企んでいるような笑みを浮かべる。
 彼女がこんな顔を見せるのは、その多くが詮無き情報を持ってきたときだ。たまに有益な情報を持ってくることもあるが、そういったときには一見すれば無表情なのにその実もっと凄みのある笑顔でやってくる。ちなみに普段はすました顔をしているが、そのときに彼女が何を考えているか、実はいまいち分かっていない。
 仲間であるはずの彼女は謎を多く秘めている。だが、その謎を深追いする必要はないように思えた。興味がないともいう。
「そう、噂。聞きたい?」
 ディリータは一瞬考えた。どうでもいい情報ならば耳を傾けても仕方がないが、彼女の話を聞いてみるのも悪くはないとも思った。次の戦の準備やらゴルターナ陣営の派閥争いの調査やらに明け暮れて、少し疲れていたところだったというのもある。
「まあ、聞きたいが」
「だったら、それに見合う対価をくれるかしら。そうね、何がいいかしらね」
 ディリータが頷くと、バルマウフラは手を差し出した。少しばかり婀娜っぽく小首を傾げて考え込む姿は、妖艶なようでいて幼くも見えた。
「貴方が望むものをそっくりそのまま貰い受けるのもいいわね」
「ぼったくりだな」
 バルマウフラの冗談にディリータは笑った。そうだな、と彼女に合わせてわざとらしく考え込んでみせる。
「ならば、エール一杯でどうだ?」
「あら、随分と安い願望なのね」
 もったいぶってディリータが言うと、バルマウフラは芝居がかった溜息をついた。落胆の表情もまた演技で、彼女はよい役者になれるのではないかとディリータは思う。
「ワイン一本で手を打つわ。噂、というのはね……」
 部屋に用意されてある接待用のワインを箱から一本引き抜くと、彼女はにこりと笑って話し始めた。

 オルダリーアには聖女がいるという。

 先の戦でイヴァリースと同様に疲弊したオルダリーアもまた、新たな戦の憂き目に遭っていた。
 といっても、今のイヴァリースのように国を二分するような内乱ではない。国王ラナードの下、オルダリーアの臣民はよくまとまっている。敵国であるイヴァリースと最終的にかわしたのは和平協定とはいえ、やはり戦勝国としての高揚があることも大きい。おろそかにしていた内政に今一度注力した後には、今度はオルダリーアがイヴァリースに攻め入るべきだなどという声もあるくらいだ。
 だが、その声をラナードは退けている。そして、臣の多くは国王の意に沿う姿勢を見せているらしい。彼らは自国に問題を抱えていることを知っているのだ。
 イヴァリースとの戦において、火種となったゼラモニア。鴎国属領であるこの地は未だ独立の機を窺っている。その勢力は小さいのだが、それ故に何を引き起こすか手の内が読めない。オルダリーアにとっては、まったくもって頭が痛い問題だった。
 鴎国軍とゼラモニアの民兵が正面衝突するといった事態も既に幾度となく起きている。多くはオルダリーアの勝ち戦となっているものの、最近は危うい場面も出てきた。
 すると、実際に戦う鴎国兵士の士気は次第に下がる。不安に思う民の心も愛国心から遠ざかっていく。いとも簡単に不満や不信感は募っていき──、その先にある道は今のイヴァリースと大して変わらなくなる。
 オルダリーアは、それを回避する必要があった。

「……オルダリーアの話が噂話なのか? たとえば、俺がオルダリーアと手を組んでいるなどという」
「違うわよ。貴方、それほど偉くないでしょう」
 バルマウフラの評価の厳しさに、黒羊騎士団の団長になったばかりのディリータは知らず肩を落とした。実際、少し前に鴎国に協力を打診してみてすげなく断られた身にとっては、耳に痛いものがある。
「じゃあ、何なんだ」
「せっかちね。「急いては事を仕損じる」って昔から言うでしょう?」
「……悪かったな、短気で」
 ディリータは憮然とした。バルマウフラの辞書に遠慮という言葉は(少なくとも自分相手には)ないと思しく、彼女はずけずけと物を言う。その物言いには一瞬むっとすることも多いが(まさしく短気のなせる業だ)、不思議と後には残らない。自分の周りには顔色を窺ってくる者が多いなか、彼女は稀有な存在だった。
「自覚しているなら直しなさいな。ともかく、話はこれからよ」
 据え付けの棚から酒器をひとつだけ取り出し、彼女は手酌でワインを注いだ。

 士気を上げる必要がある。民の意識を国に向ける必要がある。
 そのためにオルダリーアが選んだ手段は、折よく現れた「志願者」に兵を与えたことだった。
 鴎国を守り給う神に、生まれ落ちたときからその身を捧げていた少女。
 ある日、少女は神の啓示を受けた。陽である王をよく助け、陰である塵芥を一掃せよと神は彼女に告げたのだという。はじめは戸惑ったが、神に祈る折には勿論、眠りにつくたび、日々の職を果たすたび……神は彼女に繰り返し語りかけた。光を与えた。
 彼女は神への信仰を深め、旅に出た。各地で奇跡と神の言葉を振りまきながら、王都へと。そうして、噂を聞きつけた司教から枢機卿へ、枢機卿から有力貴族へ、彼女の話は尾ひれをつけて伝わっていった。
 神を味方につけた少女がいる。その話が王に届くまで時間はさほど要さなかった。

 ためしに、王は反乱の気配があった辺境へ彼女を向かわせた。兵の数は、百。
 少ない数ではない。だが、千を超えそうなほどに膨らんだ反乱分子を相手取るには骨が折れるのは織り込み済みといえた。とはいえ、負け戦は許されない。許されるとすれば、将である少女がその命を捧げたとき。そう考えられていた。
 結論を言ってしまえば、彼女は反乱軍を撃破した。そのときも、次も。さらにその次も。彼女は勝ち続け、「神の光を身にまとう聖女」と次第に呼ばれるようになった。
 面白く感じた王は、ゼラモニア討伐の任を彼女に与える。
 そうして、今。

「で?」
 机に頬杖をつき、ディリータは欠伸をした。
 その話は知っている。オルダリーアにかまけている状況では到底ないが、いつ何があるか分からない。逸る馬鹿どもが鴎国国王を唆し、本当に畏国へ攻め込んでくるともかぎらないのだ。最低限の情報は仕入れておく必要があり、ゼラモニア経由の情報のなかには「オルダリーアの悪魔」の話もあった。
 ゼラモニアからすれば「悪魔」なる存在は、なるほど、オルダリーアから見れば「天使」にも似た存在なのだろう。河岸を変えれば見方も変わる。
「「聖女」の話はここまでよ。私が聞いたのは、ゴルターナ公の話」
「はあ?」
 思わず出てしまった頓狂な声を取り繕おうとしてディリータは咳払いをした。眉根を寄せてこちらを見やるバルマウフラに、推論を寄せてみる。
「ゴルターナ公がその聖女とやらに興味を持ったとでも?」
「そう」
 首肯したバルマウフラが酒器を揺らす。続けて、の意思表示だった。
「どのような? 抱きたいとか?」
「……貴方、さすがにそれは神を愚弄しすぎよ」
 身を傾がせたバルマウフラの呆れ混じりの声に、ディリータは肩を竦めた。仮にも神に仕える身である彼女にとっては少し刺激が強すぎただろうか。そんなことも思ったが、真面目に答えるつもりもなかった。
「オルダリーアの教えはグレバドスではないだろう?」
「そういう問題じゃなくてね……」
 ぼやくバルマウフラにディリータは笑い、席を立った。酒器をもうひとつ出して彼女から酒瓶を奪うと、残り少なくなってしまったワインを注ぐ。
「ああ見えて公は愛妻家だがな。……まあ、言わんとしていることは分かる」
「何?」
「公が抱いた興味は「分かりやすい象徴」だ。女王かつ黒獅子の旗頭としてのオヴェリアが本来はそうあるべきなのだろうが、彼女が「聖女」の位置に立つには荷が勝ちすぎる」
 ディリータが説明すると、バルマウフラは頷いた。
「そうね。そもそも、姫様を失ってしまっては意味がなくなるわ」
「ゴルターナ公は俺に目をつけたのだろう?」
「当たり。よく分かったわねえ」
 まるで子供を褒めるように拍手をしてきたバルマウフラに、ディリータはおどけて礼をとった。
 そうして声を潜める。
「俺達の思惑を公は勿論知らない。知らないなりに、公は俺を利用したいだろう……どこの馬の骨とも知れぬ成り上がりを「英雄」に仕立て上げるのは容易い」
 聖女も英雄も同じようなものだ。ディリータはそう思う。祭り上げるだけ祭り上げて、不要となったあかつきには切り捨てる。ただそれだけのこと。
 ゴルターナ公はオルダリーアの話を聞いた際に、その役目を都合よく現れた若者に負わせようと思ったのだろう。……もっとも、その「若者」のことをどれほど調べ上げているのかは分からない。だが、あの性格から察するに大して調べていないようにも思えた。故に、そういった意味合いでは恐れる必要はない。
 ──むしろ、怖いのは。
「英雄、ね。噂では「女王陛下の騎士」となっていたけれど」
「ほほう、それは聞こえがいいな」
 ディリータは笑った。
 英雄という称号は他に名付けようのない者に与えられる、とディリータは思っていた。「騎士」とはかつての自分ならばどうあがいても得られなかった地位で、それを思うとなんとなく気分がよかった。……騎士というその言葉の裏にも、多分に揶揄めいたものが存在しているが。
 とはいえ、実際に騎士として「女王」に最も忠誠を誓っているのは確かに自分である。いまやそれは誰しもが知っているところであり、女王の心の安寧に一役買っているらしいということも知られるようになった。
 その「騎士」とやらが裏でどのような使命を帯びているか、それを知る者はゴルターナ公の陣営にはいないはずだ。しっぽを掴ませないように苦労しているのだからそれは当然のことなのだが、注意を払うべき者はいる。
 怖いのは、その男だ。南天騎士団の長、シドルファス・オルランドゥ。──いや、より正確にいえばその片腕であるオーラン・デュライ。彼奴の情報網は南天の強力な武器だ。
「せいぜい化けの皮が剥がれないように気をつけるのね」
「ご注進痛み入る」
 ディリータの思案の先を読み取ったらしいバルマウフラの「忠言」に、ディリータはにやりと笑んで応えた。
「英雄だろうと騎士だろうと、言わせておくさ。どのみち、利用するのはこちらだ」
 ディリータはそう続け、僅かばかりのワインが入った酒器を傾けた。
 そうして。
 内心で思うのは、その先のこと。これは誰にも気取られてはならない。
 ──利用するのは、「こちら」ではない。「俺」だ。
 「表」の自分を利用せんとするゴルターナ公に、「裏」の自分を利用せんとする教会。その両方を利用し、真の望みを果たす。それこそが今の自分を突き動かす原動力だった。
 妹を失ってから──、いや、ずっと抱えていた違和感の正体を蹴り飛ばす。そのためには、すべてを欺く。利用する。
 ……唯一の例外は、自分に心を開いたか弱き女王だけ。幼馴染すらも例外になりはしない。
「そうね」
 バルマウフラの頷きをディリータは眺めやった。何も知らない彼女のこともいつかは裏切ることになるだろう。だが、その未来には別に何の痛みも感じなかった。
 感じるわけがない。彼女も「駒」にしか過ぎないのだから。
「それじゃ、打ち合わせと参りましょうか? 騎士様」
「ああ」
 声音を変えて常のすまし顔になったバルマウフラに合わせ、ディリータは居住まいを正した。酒器を机の端に寄せ、ゴルターナ公から渡された書状数通を取り出す。
「まずは……」
 バルマウフラの報告が始まった。「噂」とは似て非なる、もっと腐り濁った……人の心の生み出すもの。
 それに触れていく。誰かに強いられるのではなく、自ら望んで。
 ──泳ぎきってみせるさ。
 抱えた想いを頭の片隅に置き、ディリータは「任務」へと戻った。 

あとがき

11月25日はディリータの誕生日~ということで、フライングではありますが2021年ディリータ誕生日記念話です。

野心家ディリータですが、ゼルテニアの町外れの教会イベントに入るまではこんな感じではなかったかなと思っています。バルマウフラに信は置いているけれどもそれは仮初めだとうそぶいてみたり、自分の実力を信じて疑わなかったり等々、あんまり近寄りたくはない感じですが…でも姫様は庇護対象として「例外」だったのではないかなと…これもまたどこかで書ければいいなと芋づる式に思うわけです。書く機会があればぜひ。

なお、「オルダリーアの聖女」についてはゲーム内にそういった話はまるでなく、完全に私のでっちあげです。ジャンヌ・ダルクを少しイメージしましたが、かつて見た映画のジャンヌ・ダルク(ミラ・ジョヴォヴィッチ)がかなり勇ましかったなあと思い出してもみたり。でも仔細は覚えていない…。

2021.11.22