Reminiscence

 おこした火がゆらりと揺れる。遠くで聞こえる鳴き声は、夜行性の鳥のものか。
「茶をいれますね」
 沢で汲んだ水を入れた小鍋をベイオウーフが火にかけるのを、シドルファスは剣を磨く手を止めて眺めた。
 夜も更けた頃合い。今宵二番手の火の番を受け持ったのは、この二人だった。
「茶か。珍しいものを持ち合わせているな」
 茶といえば、貴族の嗜みとして流行し始めたと耳にしたこともあるが、シドルファスはその機会に触れたことはあまりなかった。故に驚いたのだが、それをどう捉えたかベイオウーフは笑う。
「レーゼがこの前道具屋で買い物をしたときに、おまけとして付けてくれたんだそうです。そんなに多くはないので全員に振る舞うなんてことはできないんですが……あと、俺も茶の作法はよく知らないので味の保証はしません」
「成程。……良い香りではあるな」
 小さな麻袋から茶葉を出してみせたベイオウーフにシドルファスは言った。薬草とも違うすっきりとした香りが仄かに漂うそれをベイオウーフが小鍋に投入する。
「これでよし、と。あとは四半刻も煮出せばできあがりだそうですよ」
「ほほう」
 少しずつ茶葉が開いていく様子を男二人はしばし眺めていたが、やがて飽いたのかどちらともなく再び剣を取り出した。磨き粉を付け、専用の布で丹念に磨いていく。
 遠くで鳥の鳴き声がまた聞こえる。
 仲間のうちの誰のものだろうか、しばらく天幕からは鼾が聞こえていたがそれは途中で止んだ。きっと他の誰かが鼻をつまんだか何かしたのだろう。
 シドルファスはくすりと笑った。
 こんなふうに野営をすることなど、久方ぶりのことだ。前線に出ることは今までも多かったが、ここ十数年は砦や古城で夜は休んでいた。もっとも、若かりし頃にはやはり野営の方が当たり前だったのだが。……いずれにせよ、恵まれていたということだ。
 今、相対して座っている男は自分とは違う日々を送ってきたのだろうとシドルファスは思う。地位を奪われた挙句に異端者の烙印を押された男は、恋人を探すために国の内外を旅したのだという。
 シドルファスは昔のベイオウーフのことを知っていた。若くしてライオネル聖印騎士団の団長職にあった彼とともに鴎国と戦ったこともあったからだ。自分は前衛、彼は後衛に分かれてはいたが、何度か議を持ち、考えを交わしたこともある。
 その時に感じたのは、ライオネルの民は良い騎士団を持ったというものだった。そして、鴎国との長きに渡る戦いでも北天・南天の両騎士団を補佐してくれるだろうと思ったものだった。
 だが。
「……ドラクロワ枢機卿は道を誤ったな」
「……」
 シドルファスの独言にベイオウーフは何も言わなかった。そのかわりに一度だけ頷き、それはそのまま「是」の意味となった。
「貴君の流転の経緯に、枢機卿は直接ではないにせよ深く関与していたことだろう。私のところにも捕縛せよとの書状が届いたくらいだ」
 書状を運んできた騎士はそれを望んでいない様子だったが、と続けるとベイオウーフの表情が少しばかり緩んだ。だが、やはり彼はそれには何も言わず、小鍋を取り上げると用意していた木の器に茶を注いだ。
「少し熱いと思いますが、どうぞ」
「いただこう」
 酒ではないが、二人は軽く器を掲げた。何に乾杯するか、と尋ねるまでもなく「希望に」と言葉が合う。
 それは、この長い旅で誰もがいつしか言うようになったらしい合言葉だった。
 はじめはその曖昧な響きに首を傾げたものだが、どうやらラムザの誕生花に由来するものらしい。二十歳を迎えたのだからと先日開かれたささやかな宴の際に教えてくれたのは、この戦が始まった頃からの付き合いになるというアグリアスだった。僅かに頬を染めた彼女は、毅然としたいつもの表情とは違っていてシドルファスはもとよりベイオウーフも他の面々も驚いた。
「旨いな」
「渋くはないですね。よかった」
 茶を啜り、ほっとしたようにベイオウーフが言った。そうしてそのままどこか遠い目で口を開きかけ、また閉じる。
「何かね?」
「……いえ。そういえばとこの前のことを思い出していたんです。ラムザの誕生を祝う宴があったでしょう? 二十歳という数字に自分の頃を重ね合わせてみたらやはりまだ若かったなと思い出して」
 シドルファスは今度は聞く側に回った。訥々とベイオウーフが言葉を紡ぐ。
「二十歳の時にはもうライオネルの騎士団にいましたが、その頃には目標とすべき存在も友人もいたんです。オルダリーアとの長い戦いにはうんざりでしたし、騎士として覚束ない自分に腹を立てたこともあった。ですが、目標……道しるべがあったから」
「道しるべ?」
 思わず訊ねたシドルファスにベイオウーフは笑って頷いた。
「さらにそれより数年ほど前……今からちょうど二十年前でしょうか。覚えておいでですか、ガリランドの王立士官アカデミーにバルバネス様とともにご来訪いただいた時のことを」

 それは歴史の間隙。
 今となっては追憶色で彩られている日々の、その中のさらに小さな出来事。
 だが、目を閉じれば案外鮮やかに思い出せるものなのだ。

 ベイオウーフの言葉にシドルファスは顎に手を当てた。日めくりのそれのように時間を遡り、言われた事象を思い出してみる。……確かに、そんなことがあった。
 鴎国との戦いは膠着状態の頃だったと思う。でなければアカデミーを訪うことなどできはしないだろう。実際、「未来の騎士を激励する」といった名目で士官アカデミーを訪れたことは一度しかない。
 それが二十年前なのだとベイオウーフは言う。北天騎士団を率いていた「天騎士」バルバネス・ベオルブと南天騎士団を率いていた「雷神」シドルファス・オルランドゥ、両者の来訪に、アカデミーは興奮の坩堝と化していたと。
「私はその時故郷であるライオネルを離れ、士官アカデミーにいて研鑽を積んで……積んでいたことにしましょう。さておき、私も他の士官候補生達と同じようにお二方の話を聞くことができ、また模擬戦を見ることができることに心踊らせていたものでした」
「そうかね?」
 ベイオウーフは大きく頷き、残りの茶を飲み干した。
「そうです。お二方ともそれぞれの『騎士としての道』を語ってくださった。それは完全に同一というわけではないにせよ、この国を思い、民を思うものでした。何が大事なのかをお教えくださった。だからあの時から自分の道しるべはお二方になったんです」
 シドルファスは小さく笑った。聖人君子でもあるまいし、そんな大層なことを語った覚えもないのでベイオウーフの言はこそばゆいところもあったが。
「私にとっては模擬試合が良かったな。あれが最後だ、ああいった場でバルバネスと切り結んだのは」
「成程」
 剣と木刀、どちらかを選ぶ際に『エクスカリバーは反則だ』といい年をしてバルバネスが言ったから木刀になったのだが、と当時の瑣末事をシドルファスが言ってみせるとベイオウーフは苦笑した。
 その様を見届け、シドルファスは目を閉じた。そうしてみると確かに鮮やかに思い出せる。
 アカデミーの練兵場。鈴なりの観衆。
 木刀を構え、剣技を放とうとする自分。一方、特段構える風情もなく、力を抜いて佇む友。
 確かに友の場所を見定め、自分は剣を振るった。だがその瞬間に友の姿はなく、遠く離れた塔の上にまで「跳んで」いた。無論、他の者ではできようもない技だったが、自分は何度となくその技を見てきたから知っている。次の間、間違いなく友は自分目がけ再び跳んでくるのだ。木刀を構えたまま。
 故に半歩間合いをずらした。そうして別の剣技を繰り出す。友が向かってくるのを待っていたのでは間に合わない。
 そうして―。
「驚きました。あんな戦法があったとは……」
「バルバネスが『天騎士』と呼ばれたのには、実際空を駆け巡っているように見えるから、という者もいたからな。……まあ言い出したのは私だが」
「そうだったんですか?」
 天幕を捲る音と同時に若い声が聞こえ、二人の騎士は視線を背後へと送った。ラムザが天幕から出てくるのが見える。
「おや、もう交代の時間かね」
 シドルファスが言うと、ラムザは曖昧に首を振った。目が覚めたところに話し声がしたので、暫く話を聞いていたらしい。
「交代の時間はもう少し先なんですが……。父の名前が出てきたので少し驚いて」
 座ってもいいですか、と訊ねられたので二人は勿論首肯した。準備しておいた薪を数本火の中にベイオウーフが入れながら、ラムザのための座を作った。汲み置きの水を小鍋に足し、もう一度茶を沸かす。
 ありがとうございます、とラムザが言う。焚き火に照らされたその横顔には亡き友の面影があるような気がして、シドルファスは笑んだ。
 どこか遠くで夜啼鳥。それに誘われるように繰り広げられる昔話。昔を知る者からそうでない者へ送る言葉の数々。
 それは歴史の間隙。
 後に追憶色で彩られるだろう日々の、その中のさらに小さな出来事だった。

あとがき

2017年に発行されたFFT20周年記念アンソロジー「FINAL FANTASY TACTICS 20th ANTHOLOGY The 20years Journey」に寄稿したお話です。ベイオウーフさんとシド伯というちょっと珍しい(?渋い?)組み合わせで書きました。どちらも騎士団の元団長さんということで、上に立っていた者ならではの想いなんかも共有できていたら…なんて思います。

ちなみに、作中のバルバネスさんの描写はFF15に影響されたものとなっています。シフトシフト。

2017.09.23 / 2021.02.28