Coming Of Age Ceremony

「わあ……」
 思わず、といったように感嘆の溜息をついた妹の反応は想像通りだった。
「すごいすごいすごい! こんなにたくさんお店があるなんて、こんなに人がいるだなんて、思わなかった……。ねえねえ兄さん、早く入りましょう!」
 ドーターに立つ市のなかでも最も大きな市の入り口に僕らは立っていた。
 彼女が言うように、市に入る前から行き交う人々で辺りはごった返し、その合間を縫うようにして怪しい子供達が集団で走り回っている。重そうな荷車が横にある通用口から何台も入っていくのを横目で眺めながら、僕は妹の手を取った。
 彼女はあからさまに無防備だった。本人はたぶん怒るだろうけれど、いわゆる「世間知らずのお嬢様」なのは誰にでもすぐに分かる。もちろん、それはこの市を根城にしている件の子供達にも明らかなのは言うまでもない。彼らの視線は鋭かった。
「え? え?」
「アルマ、頼むから落ち着いて。危ないし、はぐれるから手を繋ごう。僕から離れるんじゃないよ?」
「……もう子供じゃないのに」
 上気させた頬を膨らませ、アルマがむくれる。それはそれで可愛いなと思ったけれど、今はそんなことを言っていると時間もきりもない。
 そう思っていると、後ろからムスタディオの声が割り込んできた。
「子供じゃないからお兄さんは心配してると思うぜ、アルマさん。ラムザ、俺らは買い出しに回るから、うーん……一刻後くらいにまたここで落ち合おう」
「え、護衛してくれるんじゃないの? ムスタディオもアグリアスも」
 アルマの手をしっかりと握りながら振り返ると、ここまで一緒に来た二人は揃って肩を竦めた。
「大丈夫だろ」
「そうだな。それなりにお前は腕が立つようになったのだから」
 投げやり気味なムスタディオに被せるようにアグリアスが続ける。その言葉にはどこか引っかかるような気がしたけれど、それも言い出すとやっぱりきりがない。
「分かった。そっちこそ大丈夫だと思うけれど、一応気をつけて」
「了解。……騎士役、しっかり務めろよ? じゃあまたな……いてっ」
「行くよ、アルマ」
 耳打ちしてきたムスタディオのすねを反射的に蹴って、僕はアルマに向き直った。自然と出てきた笑顔に、彼女は状況が分からないなりに安心したらしい。大きく頷くと、僕の手を握り返してくれた。

 貿易都市ならではの雑多で魅惑的な食べ物の屋台群を抜け、うっかり買ってしまった揚げパンを二人して頬張りながら進むと、次第に店構えが大きくなってきた。街の表通りに軒を連ねる店も出ていて、気軽に覗くことができる。
「ごちそうさまでした。兄さん、あのお店少しだけ覗いていい?」
「ん? ジパンゲット……ジパングの服飾屋か。いいよ」
「ありがとう! すみませーん、少し見てもいいですか?」
 幾重にも重ねた布を着込んだ店員にアルマが声をかける。店員はすぐに気付き、微笑みを浮かべながら近寄った。
「ええ、どうぞ。ゆっくりとご覧くださいな」
 お辞儀をした店員に礼を言うと、アルマは品良く並べられた品々を眺め始めた。イヴァリースとは違う異国の服は彼女の目にはとても珍しく映るのだろう、所々で立ち止まってはあれこれと店員に尋ね始めた。
 店には様々なものがあった。僕はこういった店に入ったことはそういえばないけれど、陰陽士や侍、忍者といった類に就いた仲間が着ている服に少し似ているとも思った。彼らが着るのはここにあるものよりもう少し実用的なものだけれど。
 かけられた反物には美しい模様だったり花だったり……これは星だろうか? ともかく綺麗だった。残念なことに、僕は語彙が少ない。
「これ、全部刺繍ですか?」
 アルマが問うと、店員は頷いた。
「そうです。熟練の職人がひと針ひと針丁寧に刺しています。あちらは何層にも色を変えて染め上げてできた反物ですわ」
「すごい……」
「こういった布をキモノに仕立て、季節や行事に合わせて私達は着ます。もっと普段使いのできるものもあるのですが……でもそうですね、お客様ならこちらを。晴れの日にお召しになるにはとてもお似合いです」
 奥に飾られていた反物を取ってくると、店員はそれを広げた。その瞬間、アルマが息を呑むのが分かった。
 それくらい反物は素晴らしかった。どう言っていいのか、華やかだけれど華美すぎず、ごてごてしているわけでもなかった。ひと目で上質のものだと分かったけれど、その素晴らしさを説明する力は僕にはやっぱりない。
「素敵……」
「失礼とは存じますが、お客様はご結婚はされていますか? そちらの方は……」
「え? ……ま、まだです! これは兄です!」
「……これって」
 店員の問いに慌てて答えたアルマの物言いに僕は少し傷ついた。けれど、そんなことは彼女は気付かない。
「でも、どうしてですか?」
「こういった反物を仕立ててできるキモノは、未婚の女性がお祝い事などのときに着るものだと私達は考えているのです。その最たるものが成人を迎えるときですが」
 店員の説明に二人で相槌を打つ。
「成人を迎えるとき、ですか」
「そうです。もちろん、それだけではないのですけれど」
 そう言うと、店員は広げた反物をアルマに当てた。店員の見立ては的確で、確かにアルマに似合っている。
「どうかな、兄さん……?」
「うん、よく似合う」
 おそるおそる訊ねたアルマに、僕は笑顔で頷いた。でも、内心は複雑だった。
 アルマが成人する。そう考えると、何故か心がもやっとした。彼女の年を考えてみると、確かに成人を祝うには不足はない。それどころか、たぶん同じ年頃で結婚している女の人も多いのではないだろうか。……駄目だ、ますます憂鬱になる。
 そんな僕に気付いたのか、アルマは反物を店員に返した。
「これはまたの機会にします……」
「そうですか? 機会がありましたら、ぜひお寄りください。表通りに本店がありますので、そちらでも承りますわ」
「ありがとう」
 曖昧な笑みを浮かべ、アルマが店員に礼を言う。目配せしてきた彼女に合わせ、僕も店員に礼を言った。
 丁寧な姿勢を崩さなかった店員に見送られ、店を出る。そうして再び手を繋いで歩き出した。
 しばらくして、アルマがぽつりと呟いた。
「綺麗だったね、兄さん」
「そうだな。よく似合ってたよ……いいのか?」
 訊くと、アルマは笑って頷いた。
「いいの。今はそれどころじゃないし、ああいったものを着ることは、ずっとないだろうし」
「アルマ?」
 彼女の言葉の意味がよく分からない。
「大人になりたくないって意味じゃないのよ? でも、あんな素敵なキモノを着てお祝いするだなんてこと、旅をしていればできないじゃない? それに、家に戻っても……兄さん達は祝う前にきっと……」
「……」
 濁された言葉の先を察して、僕は黙り込んだ。確かに、兄上達はアルマの成人を祝うよりも、彼女を結婚させることを考えるのだろう。……道具として。
 ──でも。
「馬鹿だなあ」
 明るい声をつくって僕はアルマに言った。足を止めて、彼女の顔を覗き込む。
「兄さん?」
 ぱちぱちと目を瞬かせたアルマの額を指で弾いて、僕は笑ってみせた。
「旅をしていたって、お祝いはできるさ。そうだな、オーボンヌから帰ったらあのキモノを着て皆でお祝いしよう」
「皆って……」
 アルマの声はぼうっとしていた。
「ん? アグリアスやムスタディオ……ラッドにアリシアにラヴィアン、それから僕のアカデミー時代からの仲間だけど、皆で」
 誕生日を祝うように、成人を祝おう。いや、一度きりのお祝いなのだから、それよりももっと楽しく。
「どうかな?」
 念を押すように訊ねてみると、アルマはやがて大きく頷いた。淋しげな笑みを消し、僕の好きなおひさまのような笑顔で僕に抱きついた。
「ありがとう、兄さん! 大好き!」
 アルマの嬉しそうな声が耳元で弾む。それを聞いた僕のほうがよほど嬉しい気持ちになった。
 少し複雑で、少し寂しいのは内緒だけれど。

「いらっしゃいませ……あら、以前いらしたお客様のお兄様ですね?」
「……ええ。前に見たあの反物ってまだありますか?」
「はい、ございますよ。少しお待ちくださいませ」
 オーボンヌに向かう前にドーターの市を覗こうと思ったのは、妹とのやり取りを思い出したからだった。
 一緒に来てくれたアグリアスに「適当に見ていて」と告げると、僕は店員に案内されて店の奥に進んだ。同じ場所にあの反物は飾られていなかったけれど、それがどういった事情なのかは別に興味がなかった。むしろ、まだあって良かったという思いのほうが強かった。
 店員が取り出してきたあの反物を見せる。それは記憶どおりのもので、何故か鼻がツンとした。
「ええと、あれからだいぶ経ってしまったんですけど……妹にあげようと思うんです」
「まあ、ありがとうございます。お仕立ては如何なさいますか?」
 店員の当然の問いに、僕は咄嗟には答えられなかった。妹はここにはいなくて、でも、永遠に別れてしまったわけではないことを強く僕は信じていた。いや、そう感じていたし、知っていた。
 ……けれど。
「……」
「お客様?」
 唐突に黙り込んだ僕を不思議に思ったのだろう、店員が首を傾げる。それを見てますます何をどう告げればいいのか分からなくなった、そのとき。
「その反物は取り置いてくれ。彼女は一緒に来られなかったからな」
 いつの間にか隣に来ていたアグリアスはそう言うと、僕をじっと見つめた。その促すような視線につられて僕は頷く。
「今度は連れてきます。そのときにキモノのための採寸をお願いしたいのですが」
「もちろんですわ。私どもも楽しみにお待ちしております」
 詮索せずに微笑んだ店員に心のなかで礼を言い、僕はアグリアスを見た。どうということもない、と平然とした彼女の表情が嬉しい。
 店を出て、二人で歩く。買い出しの荷物を持っているから手は繋げないし、アグリアスは応じないだろう。けれど、それはそれで良かった。
「アグリアス、ありがとう」
 僕がそう言うと、アグリアスは「当たり前のことだ」と返してきた。
「アルマ殿を取り戻す未来は規定の事実だ。不安に思ったりする必要はない」
「……うん。そうだね」
 確かに、アグリアスの言うとおりだった。僕は何をいったいしんみりとしていたのだろう。そんな必要はどこにもないのに。
 しんみりの残骸を深呼吸で追い払い、僕は笑った。
「アルマが戻ってきたら、皆でお祝いしよう」
「それがいい」
 アグリアスも笑う。アルマのものとは違うけれど、アグリアスの笑みもやっぱり僕は好きだと思った。
 次第に市の入り口に近付く。一緒に買い出しに来ていた仲間達が大きく手を振った。
 僕は頷き返し、隣を見た。心得た、というように歩みを早めたアグリアスに合わせ、足早に彼らへと歩く。
 この日々はもうすぐ終わる。数奇だと言われるかもしれない道行きも、きっともうすぐに。
 そして、その先にあるものは。

 彼女のあのとびきりの笑顔だと、僕は思った。

あとがき

成人の日かーとカレンダーを見たときに思いついた話でしたが、想定していたのとは違う方向に軟着陸しました(軟着陸だろうか)。そして遅刻気味。

これを書くちょっと前にChap.3のオーボンヌを終えまして、ラムザの「アルマ!」が始まったところです。なので、その感覚と感情を忘れないうちに書きました。アルマは元気がいいイメージですが、それだけじゃないよねきっととも思いつつ、でもやっぱり元気なところが好きです。でもバレッタと赤い靴はいただく…。

2021.01.14