Astrologer Tunic

「変な服」
 姿見の中の自分を睨み、バルマウフラは呟いた。
 ケープの色合いがなんともおかしい。何故こんな色なのだろう。
 チュニックの裾の長さがなんともおかしい。何故こんな丈なのだろう。
 いつも思う。旅装にしてはどうにも中途半端だ。自分には似合わない。
「……似合ってたら困るわ」
 ケープの紐を首元で結び直す。撫で肩ではないのに、それでもケープはずり落ちていく。結果的に肩口を晒す格好になってしまっていて、もはやケープではなくショールといった具合だった。この街にも多くいるだろう娼婦が羽織っているようなショール……にしてはおかしいけれども。素材もだが、その色が。
 チュニックの裾を見やる。丈自体に問題は実はない──自分が着る分には。膝上から握りこぶし半分といったその裾丈は、普段着ている服とそれほど変わらない。むしろ長いくらいだった。
 ずり落ちてくる袖と落ち着かない首元にも難儀しながら姿見を睨み続けても、事態は何も好転しない。
 ケープもチュニックもまるで不似合いだった。ボトムスもブーツも手袋もきっと似合わない。身につけなくても分かる。
 その前に、何もかもが大きかった。
「似合ってたら困るのよ!」
 腹いせに怒鳴ってみても、やはり何も変わらない。変わるわけがなかった。
 ──どうしてこんなことになったのか。
 怒鳴った自分が急に情けなくなって、バルマウフラはその場に座り込んだ。
 どうしてこんなことになったのか? 答は簡単だ。
 チョコボに振り落とされて、荷物ごと泥まみれになったのだ。


 ゆっくりと、二回。扉を叩く音がした。
 すっかり聞き慣れてしまったその音に、バルマウフラは「どうぞ」と短く入室の許可を出した。若干投げやり気味になったのは仕方がない。なんだかもう疲れてしまった。
 似合わない服に怒るのも。
 こんな羽目になったことを嘆くのも。
 着込んだ服から男の匂いがして、それが癪に障るのも。
「……どうぞ?」
 ノックがあったのに開かない扉を見て、バルマウフラは再び声をかけた。声が届かなかったのか、それとも自分が開けるのを待っているのか、あるいはそのどちらともなのか。それは分からないが、わざわざ立ち上がって扉を開けるのは面倒だった。
「入るよ? いや、おかみさんだけのほうがいいかな」
 ややあって、やはり聞き慣れてしまった声が扉の外から聞こえた。恐る恐るといった風情のその声に溜息をつく。
「どちらでも。……今更よ」
 何をきっかけにしたのか、素肌はとっくに晒してしまっている。こんな姿を見せたところで何かが変わってしまうわけではない。バルマウフラはそう思っていた。
 否、思い込もうとしていた。
「じゃあ、失礼するよ」
 男が扉を開けるのをバルマウフラは座り込んだまま眺めた。
 僅かに開いた扉から入ってきたのはこの宿のおかみだった。続いて男が素早く入室する。不自然なほどに視線を天井に向け、横歩きで入ってきたそのさまは滑稽だった。彼なりに気を遣っているのだろうが、方向性が何か違う。
 男は自分と同じような旅装のままだった。……そうではない、自分が彼と同じような格好をしているのだ。
 何故なら、今着ている服の持ち主は彼なのだから。
「遅くなってごめんなさいね、今日はお客さんが多くて。湯浴みは済まされましたか」
「……ええ」
 自分や男とは対照的ににこやかに話しかけてきたおかみに、バルマウフラはこくりと頷いた。たったそれだけの動きでずり落ちてきたケープをどうにか合わせながら、明後日の方向を見つめたままの男にちらりと目線をやる。
 ──とっくに、なのに。変な男。
 どちらでも、と自分は言ったのだから、それなら外で待っていればよかったのにと思う。
「それじゃ、これを。私のだから合わないかもしれないけれど」
「ありがとう。お借りするわ」
 おかみから替えの服を受け取り、立ち上がる。ふくよかな彼女の服はそれなりにぶかぶかだろうが、少なくとも今の状況よりはましだろうとバルマウフラは思った。
 怒るのも、嘆くのも、癪に障るのも、着替えてしまえば落ち着くはずだ。少しは、だが。
「何か他にあったら気軽に言ってくださいね」
 忙しいのだろう、それだけを言うとおかみは出ていった。
 閉まる扉を見送ってから、バルマウフラはおかみの服を椅子にかけた。足裏に木の床の感触を感じながら、男の傍に歩み寄る。
 床は少しざらざらしていた。
「なんとか言ったら、オーラン?」
「……なんとか」
 挑発するように男──オーラン・デュライ──の顎を撫でてみると、彼はそんなことを言いながらそろりそろりとようやく視線を合わせてきた。
「……何を馬鹿なこと言ってるのよ。そもそも、今更でしょう?」
 なんとなく、で始まったような気もするこれまでの逢瀬をほのめかす。
 運命だったとか必然だったとか、そういう言葉は浮かばないまま手を伸ばした日があった。
 伸ばした手を掴まれ、引き寄せられた。腕の中は暖かかった。心が少し解けた。口づけはしたが、こそばゆいばかりの愛の言葉は別段囁かれずにかえってほっとした、そんな日が。
「それは、そうだが」
 言われて思い出したのか、オーランはぽりぽりと頭をかいた。そうしてやはり視線を逸らし、何か呟く。
「何よ」
 バルマウフラはオーランの脛を蹴った。案外に強く蹴ってしまったが、相手はブーツを履いている。これくらいならば大丈夫だろうと勝手に結論づけて、もう一度今度は軽く蹴る。
 照れ隠しのためなどではない。単に手が空いていないだけだ。そう自分自身に言い聞かせながら、さらにもう一度。
「いや、その、なんというか。……前に聞いたことがあって、そんなものだろうかと思っていたんだが」
「何が」
 男の歯切れの悪さに、次はどうしてくれようかとバルマウフラは思った。いっそ氷漬けにでもして頭を冷やさせようか、そんな物騒な考えも頭をよぎる。
 だが。
「僕の服を君が着ている、というのもこれはこれで良いなと」
「──は?」
 オーランが続けた言葉に、バルマウフラはぽかんと口を開けた。
 逸らしていたはずの彼の視線は、いつの間にか自分に注がれていた。上から下へ、下から上へ。好奇心の塊のような顔をしながら視線を動かしていく。
 値踏みをするような視線ではない。……ないのだが、あまりにもまじまじと見つめてくるので、バルマウフラはむず痒くなった。
 ──何がどうして、これはこれで良いですって?
 予想していなかった、否、予想したくはなかった展開になろうとしているのではないか。そう思う。
 そんな彼女の気持ちなどおかまいなしにオーランはさらに続けた。
「裸とはまた違う趣きがある。男のロマンだといわれるのも頷」
 まさしくそれは、バルマウフラが聞きたくなかった言葉だった。
「何を考えてるのよ、この……むっつりスケベが!」
 頷ける、と締めようとしたオーランの言を遮って怒鳴る。どう罵ってよいか一瞬迷ったが、脳裏に浮かんだ言葉をそのまま叩きつけた。
 滑稽なまでに明後日の方向を見ていたのは、自分に対して紳士であろうとしたとかそういう訳ではなかった。残念ながら、やはり彼も男だったということだ。
 もっとも、それはとうに分かっていることだが。
「むっつり、は酷いなあ」
 目を吊り上げて詰め寄ったバルマウフラを見下ろし、オーランが苦笑する。
「普通だと思うよ? ご婦人が男の服を着ているのを見て感動するのは。それが好いている相手で、着ている服が自分のものだったら尚更だ」
 すらすらとそう言うと、オーランはバルマウフラに手を伸ばした。その所作に思わずバルマウフラは身を引いたが、彼はケープの襟元を直しただけだった。
「そんなに警戒しなくても。大丈夫、今は何もしないから」
「今は?」
 どこか拍子抜けしてしまった自分を棚に上げ、バルマウフラは棘のある口調を作った。そうして思いきり睨みつけてみても、オーランの表情は崩れない。
「そう、今はね。陽も高いし、暮れる頃には服も乾いているだろうし……まあ、君が望むのなら今からでもいいけれど」
「望んでなんかいないわよ! 大体、誰のせいでこうなったと思っているの!」
「おっと、危ない」
 バルマウフラの蹴りをかわし、オーランは「僕のせいだね」と言った。
「僕がチョコボをいきなり止めたから、後ろにいた君のチョコボが驚いて君を振り落とした。だから君は泥まみれになってしまった」
「そうよ。空を見上げて雲の形がどうのこうのって嬉々として突然言い出して……それこそ上の空だったんでしょうよ」
 宥めるように両手を挙げてそう言った彼に、バルマウフラは苦々しい思いでその言に付け加えた。
 ──少しは分かってきたつもりだったのに。
 短くはない付き合いになろうとしているのに、この男の性格については未だに掴みきれていない。冷静で落ち着き払っているといった印象はゼルテニアの一件ですっかり消え失せたが、飄々としたところや天然なところや興味を抱いたものには目がないといったところについては、時々目測を誤る。
「それに関しては否定できないな。本当にすまなかった。これからは気をつけるよ」
「そうして頂戴」
 信用ならないけれど、と思いながらもバルマウフラはすました顔で頷いてみせた。口先ばかりの謝罪だとは思っていないが、それだからこそたちが悪いとも思う。これから気をつけなければならないのは結局こちらなのだろう。
 気をつけなければ、と思う事柄は幾つも他にある。特に気をつけるべきは──、この男は自分に優しいということだった。
 冷淡に扱われることには慣れていた。値踏みや疑いといった視線にも。妙な馴れ馴れしさにも。道具としてしか価値を見出されないことにも。そういった感情に接するのは普通のことで、心が揺れたりはしなかった。裏切られたときも心はどこか冷めていた。
 なのに。いや、だからなのだろうか。男の優しさは殊更に堪える。
 初めのうちは馴れ馴れしいと思った。哀れみや同情といった感情から同行を求めたのかと思った。それとも体か。そんなふうに思っていた。
 だが、行動を共にしているうちに自分の考えに違和感が出てきた。軽口を叩きながらもこの男は自分を大切に扱った。いや、扱うのではなく、対等に向き合っているようにも思えた。話を聞いてくれる、答えてくれる、名前を呼んでくれる……そのときに投げかけられるまなざしが優しいことにそうして気付いてしまった。
 だからこそ、気をつけなければと思う。慣れてはいけない、と思う。
 男がもたらす暖かさに油断してしまって、裏切られたら。
 男の優しさに慣れてしまって、失いでもしたら。
 ──揺れてしまった心のぶんだけ、辛くなる。
「……」
 オーランから視線を逸らし、バルマウフラは俯いた。悲観的な思考だと思ったが、現実的に考えただけだと自身に言い聞かせる。連鎖してしまった想いの行き着いた先に、それでも知らず識らず唇を噛んだ。
「バルマウフラ?」
 オーランの怪訝そうな声が降ってくる。疲れたかい?と続いた言葉にバルマウフラは首を横に振った。
 ──私らしくない。こんなのは、私じゃない。
 湧き上がった考えを振り払うように目に力を入れる。そうして顔を上げると、やはりオーランは自分を見つめていた。
「……何でもないわ。そうね、反省しているのなら」
「ん?」
 椅子にかけた服を手に取り、片手で広げてみた。おかみの服はやはり自分には大きく、これで外に出るのは難しいと思えた。
「何か面白い話はないかしら。これに着替えても外には出れないし……そうすると、ここで時間を潰すしかなさそうだから」
 ただし、さっきの案はなし。
 バルマウフラがそう付け足すと、オーランは思案顔になった。面白い話、と指折り数えながら呟く。
「流星群が発生する時期と、その原因について……」
「そういうのはなし」
「黄道十二宮は、実は十三だった」
「そういうのもなし」
「獅子宮でもっとも明るい星を他の星と繋いでできる……」
「……今はそういうのは全部なし!」
 わざとなのか本気なのか分からない口ぶりで次々と「面白い話」を挙げていくオーランを、バルマウフラは呆れる思いで遮った。星の話は嫌いではないが、昼日中に聞いても面白くないと思う。なんだか勉強の続きのようで気が滅入るし、言ったそばから男が自分の世界に入り込んでしまうのは目に見えるようだった。
「じゃあ、そうだな……。カードでもどうかな?」
「カード?」
 ぱちり、とオーランが指を鳴らす。良い案を思いついた、と言わんばかりに笑む彼にバルマウフラは小首を傾げた。
「別に占ってくれなくてもいいわよ?」
「そうじゃないよ。前から試行錯誤していたんだが、ようやくカードゲームのルール案ができたんだ」
「ゲーム?」
 何を言い出したのか分からず、オーランの言葉をバルマウフラはただ繰り返した。
「そう、ゲーム。少し待っていてくれ」
 頷くと、オーランは自身の革鞄をがさごそと探り始めた。バルマウフラから見れば雑然としている鞄の中身も、本人からすればそうではないらしい。目当てのものは案外早く見つかった。
「あったあった」
 手渡されたカードをバルマウフラは何枚かめくってみた。カードには数字と絵が入っていたが、それが何を意味しているのかこれだけではやはり何も分からない。男が普段使っている占星のカードと何が違うのか。
「これを使うの? いつものは?」
「今日はこちらを使うよ。普段使っているカードでもできるんだが、これのほうが分かりやすいと思ってね」
「ふうん」
 卓を動かしながら話すオーランに、バルマウフラは相槌を打った。そんなものかと思う。
「ルールは進めながら説明するから、始めようか。まずは……」
「その前に」
 カードを配りだしたオーランをバルマウフラは制した。時間潰しとはいえ、ゲームにただ興じるのも少しつまらない。
 ここは、やはり。
「私が勝ったら、貴方は私の言うことをひとつ聞くこと」
「え? ああ」
 バルマウフラの提案にオーランは目を瞬かせると、素直に頷いた。そうして再び思案顔になり、「じゃあ」と続ける。
「じゃあ、僕が勝ったら」
「それはないわね」
 オーランの言葉を遮り、バルマウフラは椅子に座りながら言い切った。自分でも妙だと思うが、負ける気はしない。
「言ってくれるなあ。ま、僕としても負ける気はないけどね。……ところで、バルマウフラ」
 困ったように笑ったオーランだったが、その声色は途中で変わった。少し咎めるような響きを持った声に、配られたカードを眺めていたバルマウフラは顔を上げた。
「何?」
「足は組まないほうがいいかな。ほら、うっかりすると中が見え……」
「……!」
 オーランの戯けた忠告にバルマウフラは頬が熱くなるのを感じた。
 考えるよりも早く手が動く。後ろ手におかみの服を掴むと、バルマウフラはそれをオーランに投げつけた。

 数刻後。
 窓の外にいつの間にか広がった夕焼け空を見やることもなくカードゲームに熱中していた二人は、それぞれぐったりした面持ちで椅子に凭れかかっていた。
「また負けた……」
 肩を落としてオーランが呆然と呟く。その呟きに、バルマウフラは口の端を上げた。
「何度やってももう無駄。貴方は私に勝てない」
 終わりにしましょう、と纏めたカードをバルマウフラが手渡すと、受け取ったオーランは放心したように仰向いた。
 そんな男の様子にちらりと笑み、立ち上がる。干していた自分の服が乾いていることを確認すると、バルマウフラは素早く着替えた。
 そうして男の服を広げ、眺めてみる。
 ケープの色合いがなんともおかしい。何故こんな色なのだろう。
 チュニックの裾の長さがなんともおかしい。何故こんな丈なのだろう。
 いつも思う。旅装にしてはどうにも中途半端だ。
 ──でも。
 変な服だという評定は今も変わらないが、着込んだ当初とは違った感覚がおかしくてバルマウフラは自嘲気味に苦笑した。
 包まれてしまった。そう思う。あの腕の中で解けてしまったように。
「こちらでは私の負けね」
「ん?」
 こっそりと呟くと、オーランが問うような視線を投げかけた。それを無視して彼のもとへ歩み寄り、顔を覗き込む。
「独り言よ。さて、言うことを聞いてもらいましょうか」
 椅子に座ったまま見上げてくる男の視線の優しさに一瞬怯む。それでも表情を作り、バルマウフラは言った。
「今日は、そうね……」
 ──何に負けたかなんて教えてやらない。
 解けた心を軽く結び直し、自分にそう誓いながら作った言葉を繰り出した。

あとがき

7月のオーラン誕生日記念に…8月のバルマウフラ誕生日記念に…と思いつつ伸び伸びになってしまった話です。元ネタはFF14に登場する「イヴァリースアストロロジャー・チュニック」。これが着たい!と思ってFF14を始めてみた記憶も懐かしく…(もはや1年近く前)。そしてバルマウフラに着せたら楽しいだろうなあと思った記憶も懐かしく…。

ということで、彼シャツ話でした。でもってカードゲームのくだりはFF8から。トリプルトライアドの考案者の名前がオーランで、当時のけぞった記憶があったのでした。

2019.12.15