Bon Voyage

 こんなに長い付き合いになるとは思わなかった、とムスタディオはふと思った。
「かれこれ……もう何年だ?」
「さあ? 結構長いよね」
 部屋の片隅に積み上げてあったあれやこれやの「遺産」を眺めていたラムザが答える。箱の中のナットを手に取ると、彼はそれを弄びながら顔を上げた。
「あれから何年経った、とか前は数えてたんだけれど」
 いつ頃からかそんなふうに思うこともなくなった、と続けたラムザに、ムスタディオは頷いた。
「そうだな。なーんか、かなり昔のような気もするし、ついこの前のような気もするし」
 月日が飛ぶように過ぎる。季節はあっという間に巡る。
 そうして、いつの間にかあの日々は遠くなってしまった。不可思議な石をきっかけに彼と出会い、故郷を離れてほうぼうを駆け巡った日々は。
 辛く、苦しく、だがそれだけではない、あの懐かしい日々は。
「そんなふうに考えるようになったら、歳を取った証拠だよ。……まあ、僕も同じようなことをこの前思ったんだけれどね」
「そうなのか?」
 作業机を挟んで差し向かいにラムザが座る。器用に指にナットを挟んだまま頬杖をつくと、彼は小さく笑った。
「アグリアスとそんな話になったんだ。あのときのことを「昔」って括りにしていた自分にびっくりしちゃって。まだはっきりと覚えているのに」
 何も知らなかった頃。逃げ出した頃。自分というものも含め、様々なものを追った頃。死を意識した頃。できることはすべて終わったと思った頃。
 辛く、苦しく、だがけしてそれだけではない、あの懐かしい日々。
 鮮やかなように思えてもどこか追憶色に染まっている、あの日々。
 視線を虚空に浮かせてぼんやりとラムザはそう言葉を紡いだ。そうして最後に大きく息を吐き、再び笑む。
「アグリアス曰く、はっきり覚えていても懐かしいって思うものは「昔」にしているって。そもそも、「昔」って言葉に抵抗があんまりないみたいだね」
「アグリアスさんらしいな。大人の考えだ」
 作業中付けていた片眼鏡を外し、ムスタディオは椅子に凭れた。どんな表情でそんなふうに彼女が言ったのか、目に浮かぶようだった。きっといつものように生真面目で、それでいて優しい表情だったのだろう。
「元々年上だよ?」
「そういう意味じゃない。アグリアスさんは若い」
 笑いながら変な突っ込みを入れてきたラムザをムスタディオは睨んだ。その辺に転がっていた螺子を弾くと、それは結構な勢いで彼の肘に当たった。
「痛いよ、ムスタディオ」
「お前が変なこと言うからだろ」
 ラムザが言うとおり、確かに彼女は自分達より年上だ。だが、それとこれとはまた別問題だ。
「アグリアスさんは大人だけど、でも、いつまでも若いんだよ。俺達は歳を取ったかもしれないけど、アグリアスさんはそうじゃない」
 鼻を膨らませそんなふうに捲し立ててみると、ラムザが苦笑しながら形ばかりに制止するような仕草をみせる。それはどこか芝居がかっていて、少しおかしかった。
 そんなところはそれこそ昔から変わらない。もっとも、それは相手をする自分もなのだが。
「そうだね、アグリアスは若い。僕達より若い。……にしても、相変わらずの信仰ぶりだねえ」
 呆れる、というよりいっそ感心するよ。そう続けたラムザにムスタディオは胸を張ってみせた。
「アグリアスさんは俺の女神だからな」
「奥さんが聞いたら怒るよ?」
「それはそれ、これはこれだ」
 別段秘密にする事柄でもない。
 自分自身は知らない「旅」を妻が聞きたがったので、事の仔細はぼかしつつもあれこれと話してみせたこと多数。話を面白く仕立てて「暗いことばかりじゃなかった」と締めると、妻は安心したように笑った。
 かの「女神」のことも勿論話した。そのときも同じように笑っていたから、大丈夫だろうと思っている。……たぶん。
「ていうか、感心してる場合じゃないだろ。俺みたいなのは今もごろごろいるんだぞ? そんな奴らにアグリアスさんが落とされたりし」
「それはないな」
 笑顔のままだが、ラムザの目は笑っていなかった。
「ムスタディオのは冗談半分だから放っておけるけれど、他は別。今までも蹴散らしてきたし、これからも蹴散らす」
「はいはい」
 お定まりの科白をきっぱりと言うラムザに、ムスタディオは出していた道具やら部品やらを片付けながら生返事をした。話の流れがこうなると必ず出てくる物騒な言葉にも、もう慣れた。
 その言葉どおり、変な虫を今まで何匹も彼は抹殺してきたのだった。本当に殺したわけでは勿論ないが、大抵の場合「虫」がその後しばらくは立ち直れなくなっていたのは事実だ。
 手段を選ばずに徹底的に蹴散らしていくその姿は、少し鬼神のようだとムスタディオは思う。
「だけど、最近じゃアグリアスが自分で蹴散らすんだよね。だから僕はもうやることがない」
 見れば背筋が凍るような笑みを崩し、へらりとラムザが笑う。
「そうかよ。よろしいこって」
「そうなんだよ。いいことだよね」
「……」
 繰り返した生返事を額面どおりにラムザが受け取ったので、ムスタディオは沈黙した。結局最後には惚気話になるんだな、といつもの展開に投げやりな思いになる。
 はじめの頃は真面目に聞いて真正面からあてられたものだが、今ではすっかり聞き流せるようになった。そうでないと、こんなにも長い付き合いはできなかっただろう。
 ──本当に、長い付き合いになった。
 話の諸端を思い出し、ムスタディオは転がっていた螺子を再び弾いた。
「痛いって、ムスタディオ」
 狙ったわけではなかったが、今度も螺子はラムザの肘に命中した。たいして痛くもないだろうに、年甲斐もなく口を尖らせて抗議する友を何となく見やる。
 しばらく会わないうちに皺ができたなと思った。伸ばしているらしい髪にも白いものが僅かにだが混じっている。歳を考えてみれば、それも不自然なことではないのだが。
 あの日々から変わらないものは多い。だが、変わったこともある。
 たとえば、立場。たとえば、環境。たとえば、風貌。いずれも取るに足らないことだが、そういった小さな事柄に時々はっと気付かされる。
 ──時は確実に移ろうのだ。
「どうかした?」
 黙ったまま見つめられたのをどう思ったのか、ラムザが頬杖を解いたその手をひらひらと振る。おそらく分かってやっているだろうそのとぼけた風情が少し腹立たしくて、ムスタディオは彼の手を邪険に払った。
「……別にどうもしないさ。あんまりにもお前が変わらないから癪に障っただけだ。少しは変われよ」
 浮かんだ思いに蓋をしてそう返してみると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「変わらないかな?」
「俺にはそう見えるな。せいぜい、にっこり笑って煙に巻くことが増えたくらいか? いや、それも昔からか」
「そう?」
 皮肉を込めた科白もやはり受け流される。まるで手応えのないやり取りにげんなりしながら螺子らしきものが転がっていないか机上を見渡してみたが、螺子も他の部品も手元にはなかった。
 ラムザの手元には螺子が二本とナットがひとつ。自分の手元には先刻外した片眼鏡と、彼が持ってきた方位磁石がひとつ。少し離れたところに作業用のランプがひとつ。
 それだけだ。
「昔からかどうか自分じゃよく分からないけれど、性格が悪くなったってアグリアスには言われたよ」
「同感だな。そのとぼけたところとか、のらりくらりとかわしやがるところとか……元々そんな節はあったけどな」
「あったかなあ?」
 言ったそばからとぼけてみせるラムザに、ムスタディオは溜息をついた。
 出会った頃は迷子のような風情だった、と思う。それから色々あって、心強い言葉をもらった頃には救われたという顔をしていた。さらに色々あって、思いが否定され妹が拐われた頃には憔悴しきっていた。不透明になった世界に翻弄されそうになり……それでも彼は持ち堪えた。
『皆がいてくれたからだよ』
 いつか彼がそう言ったことがある。オーボンヌの後、すべてが終わったと彼が告げたときのことだ。神殿騎士団と対峙する頃にはすっかり精悍さが増したその顔つきで、彼はそんなふうに言って微笑んだ。
 ひとりだったら、とうの昔に倒れていた。自分に何ができるか、何をしたいのか、それを考えるよりももっと前に消えていた。歯がゆさを感じることもなく、他者に身を委ねてぼんやりと生きていたかもしれない。
 そうならなかったのは、僕が今こうして笑っていられるのは、ひとりじゃないって気付かせてくれた皆のおかげなんだ……。
 彼の柔らかい笑顔は今も覚えている。語った口調も覚えている。苦しかった日々の帰結するところが笑顔でよかった、と思ったことも覚えている。
 ──だが、その笑顔に騙されてはいけない。
「大ありだ。お前の悪行の数々を絶対に忘れたりするもんか。お前が死んだら墓に「親友をうっかり殺そうとした大馬鹿者」って刻んでやる」
 恨めしそうな声を作ってムスタディオは言った。
「とっくに死んだことになってるし、墓なんてどうでもいいけど。……でも、相当根に持ってるね?」
「当たり前だ」
 唇を突き出して、そう吐き捨てる。
 発掘された鉄巨人の主人となったラムザが「命令」した言葉と、その命令で引き起こされた結果。それを忘れることなどできはしない。痛みで消えゆく意識のなかで「こいつは、ただの馬鹿だ」と思ったことも。
 ──そう、ただの馬鹿だった。ただの、普通の、どこにでもいるような男。
 彼が成したことと、その過程で引き出された真実。かつて詳らかにされ、直後に消されたというそれは確かに大事なことだが、こういった「普通の人間だった」という側面のほうが重要ではと思うことがある。
 彼は国を救った勇者だった。それはそうだ。彼がいなかったら、この国は、この世界はどうなっていたことか。
 彼こそが。そう考えるのは簡単だ。とうに闇に消えた真実とやらは、もしかすると何かの弾みで再び表に出るかもしれない。そのとき、きっと彼はそんなふうに言われ、祭り上げられるのだろう。
 ただの、普通の、少し妹馬鹿の、どこにでもいるような男。そんな事実は残らない。
 それは少し寂しいことだと、こうして話の種にするたびにそう思う。もっとも、そんなことはおくびにも出さないが、この友人はおそらくそれもお見通しだ。
 手を伸ばし、ラムザの手元にある部品をムスタディオは引き寄せた。また弾いてくるのかと警戒するように身を引いたラムザを眺め、そうしてやろうかと指を動かしてみせる。すると、ラムザはますます身を引いたのでムスタディオは笑って立ち上がり、部品をそれぞれ元の場所に収めた。
 机の上に残ったのは片眼鏡とランプと方位磁石。自分のものと、彼のもの。
 調整が終わった方位磁石をラムザが手に取る。それを眺めたまま、ムスタディオは壁に寄りかかった。
 また旅に出るんだろうな、となんとなく思う。思い出したように時々ここへやって来るのと同じ具合で、他の土地へもまた。
 昔のようにほうぼうを駆け巡るのではなく、自分の心のおもむくままにほうぼうを巡る。そういった旅を繰り返す彼は、もう自由なのかもしれない。
「今度はどこへ行くんだ?」
「どこにしようかな。……僕次第かもしれないし、違うかも。どう転ぶか分からないね」
「……?」
 問いかけに微笑みながらラムザはそう返してよこしたが、あまり覚えのない笑みと曖昧なその口調にムスタディオは首をひねった。
 自分を、誰かを煙に巻くようないつもの笑みではなかった。もっと違う、何かを懐かしむような、そんな表情で彼は方位磁石を見つめる。それこそ、遠くなった日々を懐かしむような。
 だが、それも一瞬のことで。
「アグリアスに怒られないうちには戻るよ」
 伴侶の名を出し、彼は片目を瞑った。垣間見せた素の表情の上に常のそれを乗せ、いつもの軽い雰囲気を再び纏う。その僅かな変わりように何か言おうとしたが、結局ムスタディオは別の言葉を口に出した。
「心配かけてる、の間違いだろ?」
「信じてるって言われたよ?」
 返ってきた惚気に、ムスタディオは久しぶりに口の中が砂っぽくなったような気がした。続けようと思っていた科白をうんざりした気分で繋げる。
「まあ、良い旅を」



 早朝、ラムザは調整した方位磁石を携えて帰っていった。
 そのまま旅に出るのかもな、と思いながら、今日の予定をひとつずつ確認していく。昨日さぼった分だけ今日は忙しくなりそうだった。昨日の予定をすっぽかされた弟子が大挙してやって来るのもそろそろだろう。
 坑道から上がってきた調査の報告会、依頼された発掘物の分解、機工師同士の寄り合い……その合間を縫って弟子への指導もする。束の間の休息と回顧から日常へと戻るのだ。
 そうして、日々はまた流れていく。月日は飛ぶように過ぎ、季節はあっという間に巡り、過去はさらに遠くなる。そんな日常が、また。
 空気を入れ替えようとムスタディオは工房の窓を開けた。よく晴れた秋の空、吹き込む風は少しだけ冷たい。
 旅をするには丁度良い天気だ。
 また来るよ、と言っていた友を思い出す。その言葉どおり、またいつの日かふらりとやって来るのだろう。積もりに積もった土産話と何か壊れたものを持って。
 それを想像するのは容易くて、その場で苦笑して返した。便利屋じゃないんだからなとついでに言ってみせると、友は笑った。
 その胸を小突いた。いつものように。昔のように。
 ──苦しかった、だがけしてそれだけではなかったあの頃のように。
 扉を叩く音がする。開けた窓から顔を覗かせて声をかけると、愛弟子が驚いたようにこちらを見た。
「おう、おはよう」
「おはようございます」
 返ってきた挨拶に手を振ると、ムスタディオは窓枠に背を預けた。前より少し固くなった背を反らして空を仰ぐ。
 よく晴れた秋の空。僅かに巻雲の浮かぶ、穏やかな空。
「何やってるんですか、背中痛めますよ?」
「うるさい」
 軽口を叩きながら入ってきた弟子に短くそう返し、身を起こす。思ったよりも暗い室内には目が慣れなかったが、それを無視してムスタディオはせわしく動き回る弟子達を眺めた。少しだけ透明になった世界に生きる者達を。
 日々は流れていく。月日は飛ぶように過ぎ、季節はあっという間に巡り、過去はさらに遠くなる。そんな日常を繰り返していく。
 彼らのような次を生きる者達を見ながら、時折は過去へも思いを馳せながら。
 きっと、それは幸せなことだ。
 口の端が上がっていることに気付き、ムスタディオは片手で軽く頬を叩いた。窓を閉め、揃った弟子達の元へと向かう。
 日常が、始まった。

あとがき

「MEMORIES」の後の話になりました。この後に「SALUTE」のエピローグが続く格好になるのですが、一応独立させてみました(でも分かり辛いかも…)。思えば遠くに来たもんだという感じのラムザとムスタディオです。 本作ではラムザの髪が伸びているという設定です。なんとなく長くしているのもいいかも?と思いつつ書いてみましたが、私が書く場合のラムザは「無精して伸ばしっぱなし」になっていそうです。そうしてアグリアスから白い目で睨まれるという。

2019.03.06