第34回 おとぎ話になったFFT

「むかしむかしあるところに、ディリータというまじめな少年がおりました。ディリータはいっかいのチョコボ飼いでしたが、お父さんもお母さんも病で小さいうちに死んでおり、妹のティータとたったふたりで暮らしておりました。うんぬんかんぬん」

 ……なんだか変な出だしとなってしまいましたが、今回のコラムは題して「おとぎばなしになったFFT」。

 冒頭にちょこっと「英雄王ディリータ」が子供向けに語られる、いわゆるおとぎばなしの域を出ない伝記ものになったとするとこんな感じかしらというのを書いてみました。しかし既に書きながら思わずやめてしまった次第です。子供が目をきらきらと輝かせて聞くお話となると、結構冒険ものっぽくなるのだと思いますが、ディリータの「英雄譚」は結構地味で(性格がよく出ている?)、お話にしたてあげるのはちょっと難しいかもしれません。それでも結構後に「英雄王」などと称されることになるのですから、詩吟などでも語り継がれたのかなあとも思ってみたり。小さい頃の話や、黒羊騎士団からひとり生き残って一気に南天騎士団の頂点に立ち、孤立無援だったお姫さまを助けて王様になる……結構派手だ。アラズラム氏が後に発表したデュライ白書関連本で彼の扱いがどう大きく変わるのかは私たちには分かりませんが、それでもイヴァリースの国の図書館には「マンガで読む偉人9 ディリータ・ハイラル」なんてのがあるのかもしれません。どうだろう。

 と、脱線気味になってしまったので、話を元に戻すと(でもマンガで読むディリ伝記は読んでみたい)、やっぱりおとぎばなしといえば「儲け話」でしょうか。最近はとんと儲け話にも手を出さず、したがってあのどきどきするような感覚とがっかり感は味わえないでいるのですが、あれこそ埋もれずにずっと語り継がれていったら楽しいだろうなあと思います。それと、あとは個人的にはベイオさんとレーゼさんのあたりなどもおとぎばなしになってるのかなとも思ったり。ベイオさんが異端者扱いされるところはかなり変わっていると思いますが、しかしおとぎばなしは伝承がどんどん変わっていくもの。グリム童話なども原作を読むと恐かったりもするので、後世に継がれるならばその時代時代にあったお話になるのでしょう。

2004.11.21