第30回 「獅子戦争」呼称成立時期

 FFTの舞台は五十年戦争終結から1年後に始まった「獅子戦争」。この名の由来は「太陽と聖印に護られた双頭の獅子が治める」ふたつの貴族が王権争いをしたことに由来するものです。「黒獅子」ゴルターナ公 VS 「白獅子」ラーグ公の争いは、結果から言えば漁夫の利のようなディリータ・ハイラルの台頭によって思わぬ形で終わることとなりました。ここらへんは「紅バラと白バラで争っていたのに限りなく野バラに近い白…じゃなくて赤バラ青年」リッチモンド伯ヘンリーが最終的に王座に座った薔薇戦争とよく似ています。(後注:白と赤を間違えていました、訂正します)

 ところで、「薔薇戦争」の場合は当初はそれぞれの戦いの名前で呼ばれていました。最初から「薔薇戦争」という名前の戦争があったというわけではないようです。そのため、何年から始まって何年に終わったというのも文献によってバラバラだったりもします。大体はヘンリー7世即位時もしくはボスワーズの戦い終結時にその終結時を置くようですが、中にはヘンリー7世即位後のストウクの戦いも含める文献もあります。
 それはさておき、薔薇戦争の呼称が成立した時期はそれから下ること数百年。サー・ウォルター・スコットが出版した「Anne Of Geierstein」の中に登場するまで、シェイクスピアも「薔薇戦争」とは呼んでいませんでした。それぞれの戦いで(たとえばボスワースの戦いとかウェイクフィールドの戦いとか)呼んでいたようです。

 翻ってFFTで考えてみると、やはりこれも「獅子戦争」というのは後の時代、特にこの時代の歴史が「冷静に」研究されるようになってからつけられたと考えることができます。もちろん、デモで最初から「後に獅子戦争と呼ばれる…」と言っているので今更何をか言わん、ではありますが……。

 それでは、当時のイヴァリースの人達はこの戦いを一体何と呼んでいたのでしょうか?
 獅子戦争はオヴェリア誘拐事件の【犯人】が刑されたのをきっかけとし、そこからベスラの戦いを経て…一体いつ終わったのかは定かではないのですが、ベオルブ家がその後崩壊するに至り、ここで戦いは事実上の終結を迎えているといっても過言ではないかと思います。ということで、おそらくこの間の戦いをそれぞれ呼んでいたのだとは思うのですが、実は表だった戦闘というのはあまりゲーム中には描かれていないのが困ったところであるというか、何というか。明確に「数と数の戦いが描かれている」のはベスラの戦いとモスフングスの戦い(いや、それは呼称が違う)ではないでしょうか。もっとも、他の戦いも「戦っている」匂いはキャラクターのセリフから漂ってきていますので、おそらく膠着状態の中でも激しい戦闘が各所で繰り広げられていたのではないかと思います(最大はそれでもやはりベスラか)。

 そして、「獅子戦争」と呼ばれるようになったのは「獅子戦争」終結十数年後<呼称時期<アラズラムさん活動時期となるわけですが、果たしてそのきっかけは何だったのか? 現実同様小説からだったとしたらぜひその小説を読んでみたいぞと暴走しつつ、気が付けば30回目のコラムもこの辺で終わりたいと思います。

2002.11.08