第27回 デュライ白書の謎その3

 ある意味その2のおまけに繋がるのかもしれませんが、今回は「デュライ白書が何故現在に渡って保管されてきたか」ということについて少し。例によって大部分が推測です(苦笑)。

 現実の歴史では、異端者が書いた本というのは大抵「焚書」という末路を辿っています。この焚書についての記述は色々な本にもありますが、講談社現代新書「異端審問」に登場するフスの場合、彼は自らの本が燃やされるのを見て僅かに微笑んだといいます。しかし、実際どのように思っていたのか。彼は神学者であり、オーランとは異なる立場の人間です。故に絡んでくるだろう宗教的な意味などもあってその真意を推し量ることは難しいのですが……。
 いずれにせよ、オーランが書いた白書は何故か燃やされることもなく、教会によって隠匿され続けてきました。そのために400年後に日の目を見ることもできアラズラムさんにとっては名誉奪回のチャンスだったわけですが、しかしどうして教会はこの「最大の脅威」を排さなかったのでしょうか。いつもの如くいくつかの例を挙げてみます。

  1. 教会側の慣習
  2. 教会内の一部勢力が焚書ではなく隠匿を主張した
  3. その他の要素が絡んだ
  4. スタッフの都合(……)

 1と4については推測の余地があまり残されていないのでとりあえずおくとして、まずは2から。これは上に挙げた理由の中でも最有力候補だと思います。現実世界で自民党など政党に様々な派閥があるように、グレバドス教会内にも様々な考えの持ち主がいました(シモン先生やライオネル枢機卿、ザルモゥ異端審問官などなど)。それら残存勢力が単なる権力争いの材料として白書を保管することを選んだのかもしれないし、純粋に研究対象として残されたのかもしれない。色々考えることができます。

 3は、実はオーランが持っていた白書は焼かれてしまい、その後何らかの経緯を経て「第二の」白書が教会へと移り、それ以降保管されたという考えです。白書が一冊である必要はどこにもないのですから、実際の歴史から考えるとこちらの方が妥当に思えるんですよね。そして、教会の手に渡る頃にはかなり年月も経っているでしょうから、焚書ではなく隠匿の道を歩む、ということも十分ありえます。また、焼かれるはずだった白書が実は焼かれずに第三者の手に渡り、その後教会に…という考え方もあると思われます。

 といったふうに色々考えてみましたが、「良識派が教会にいたために焚書を免れた」or「第三者が白書を救った」という説を推してみる次第。もしくは混乱の最中に白書が紛失されてしまい、後になって(400年後?)ひょっこり見つかったというのも「あり」かもしれません。

2000.11.24 - 2001.02.16