第26回 デュライ白書の謎その2

 第1回の「デュライ白書の謎」では白書の中身がどんなものなのかということについて推察してみたんですが、今回はその成立過程について考えてみたいと思います。デュライ白書……オーランが一体何を思ってこの書を書いたのかということについてこんな考え方もできるのでは、ということで。

 さてさて。FFTのEDテロップによるとデュライ白書の公開は獅子戦争終結から5年後、公開は更にその1年後となっています。おそらく未だディリータの治世は不安定であり、ようやく戦争処理も終わりかけた頃だと思われます。また教会においても教皇の暗殺、神殿騎士団の事実上の崩壊などの異常事態が沈静化した頃でもあります。
 すべてが平和に向かっていく、戦争の混乱は闇に消えていく。このような時期に何故オーランは白書を公開したのでしょうか。
 普通に考えれば公開は非常に危険なこと。「臭いものには蓋をしろ」ではありませんが、真相を暴露することに対しての扱いがラムザ達と同じく異端者のそれになるということはオーランだったらよく分かっていたはず。また、いきなりこのような白書を公開しても「何も知らない人々」はメリアドールの時と同様に信じるわけがないということも知っていたはずです。

 信じる者もなく、確実に逆賊扱いされることを前提とし、それでもオーランは書いたばかりの白書を公開するという道を選びました。そこにあったものは一体何?ということで考えられる理由について整理してみたいと思います。

  1. 不治の病にかかっていた
  2. 良心の呵責に耐えられる限界の線だった
  3. 打算的な考えがあった
  4. 何でもいいから教会及び国家に打撃を加えたかった
  5. その他

 1及び2については本当に推測だけで終わってしまうので今回は敢えて割愛します。ただ、2についてはオーランという人間の性格を考えるに、白書公開へ踏み切った原因のベースになっていることだけは確かだと思います。でも冷静沈着と謳われたオーランがそれだけでことを起こすとは考えにくいこと。副次的な要素も絡んでくるのではないでしょうか。
 そんなわけでまず3を飛び越して4です。もし仮にオーランがラムザの墓参りの後、完全に隠遁者となった場合オーランはディリータの部下になるという選択をしなかったということになります。ラムザの墓の前で「ディリータはいい奴なのかもしれない」と語った言葉はオヴェリアの件及びオーランが自分で調べ上げたことで徐々に崩壊していく。結果、オーランとディリータが水面下で反目しあっていたと考えると割とデュライ白書の公開要因はすんなりとまとまります。教会と関わりあったディリータの記述が白書に一遍のかけらもないということは有り得ないはずですから、公開と同時にディリータ政権へダメージを与えることができます。また、教会についても同様ですね。
 しかしこの考えはあまり現実性がありません。というのは、たとえこれでディリータ政権がぐらつくようなことがあるとすれば(ディリータの治世はヘンリーVIIと同じく薄氷を踏むようなものでしょうから虎視耽々と隙を窺うものはいくらでもいたかと)「俗」の世界は再び戦乱に逆戻りするからです。多分その頃までには前王家の血縁者は極端に少なくなっていると考えられるにせよ、ディリータより王位に近い人間はいるはずです。それを担ぎ再び戦乱へ。それによって利を得るのは「俗」と離れている教会。教会が権力を握るということはオーランにとっては本末転倒な事態。よって、オーランの腹の中は別にしても(苦笑)白書での標的はあくまで教会だったと考えられます。逆におそらくディリータ及び世俗権力は傍観者の立場だったのではないでしょうか。

 ということで3の「打算的な考え」というのが浮上するのですが、私はオーランが白書を公開したこの時期が「もっとも彼にとってタイミングがよかったため」と考えました。
 オーランが白書を公開した場は「教皇を選出するためのクレメンス公会議」……すなわちイヴァリースで開かれる会議においては最大級のものだったと思われます。ということは教会の威信をかけたものでもあったということなんですが、同時にその名前にあるように「公」のものでもあるのです。
 思うのですが、オーランは白書が認められるなんてことはこれっぽっちも信じていなかったのではないでしょうか。白書の中身が深く問われるようなこともなく、教会の名誉と「真実」を守るために闇に葬り去られることなど分かっていたと思います。オーランの「打算」は白書の「中身」ではなく「形」にあるのでは。
 それは「自分が教会の闇を暴く本を出したという記録」、「それ故に異端とされ(おそらく)火刑に処せられるであろうその経緯」。オーランは実を残すのではなく歴史に種をまいたのではないでしょうか。どんなことでも記録される公会議を舞台に選び、おそらく記述されるであろう賭けに出た。自己犠牲というものではなくそれがもっともオーランの満足できるものだったのではないでしょうか。

 しかしこれらはあくまでも副次的なもの。何かをするという衝動はもっと深いところにあったと思われます。それについてはもうちょっと探ることにして(一応の答には帰結したのですが)これからも色々と考えていきたいと思います。
 にしても同じところをぐるぐると回っているような文章ですね、これは……。

2000.07.15