第17回 リッチモンド伯ヘンリーのこと

 多分いうまでもないと思うですが、実はFFTで一番好きな(興味のある)キャラ、ディリータを調べているうちに私がはまったのはこっちの人でした。実在の人物、薔薇戦争を終結に導いたリッチモンド伯ヘンリー・テューダー。後にヘンリー7世となる人です。

 シェイクスピアの史劇「リチャード3世」ではボスワースで勇敢に戦う若き勇者として、テイの「時の娘」では冷酷な野心家として書かれていますがどっちもどっち、本当の姿かなと思ってます。希望としては「リチャード3世」のヘンリーだけど、FFTのディリータ見てるとやっぱり「時の娘」ヘンリーなのかもしれません。

 ヘンリー7世(以下ヘンリー)の生い立ちについて書くと、彼は正統なランカスター家の血を引くものではなく、まったくの傍系の人間だということは前にもどこかで書いたと思います。それを図にしてみると次の通り。彼の祖父母と母親がランカスターとの血を結んだわけですが……。

ヘンリー7世から見たランカスター家

 ところでそのヘンリーなんですが、なかなか不遇の少年期をすごしています。エドワード4世統治下にあっては幼年期を敵側のヨーク派貴族:ウィリアム・ハーバート卿の管理下におかれていました。1469年(ヘンリー14歳)のエジコウトの戦いで卿が敗北・処刑後は伯父さんのジャスパーのもとへ。しかし、71年にヨーク朝が復活、またもやエドワード4世統治下になるとジャスパーとともにフランスへ亡命。祖母の縁もあってフランス宮廷に出入りするようになりますが、不遇な生活が続きました。しかし、エドワード4世が死去し、リチャードの代になると状況が一変します。

 にしても何故リチャード3世が即位したのか。エドワード4世の2人の王子はどうしたのか。「リチャード3世」ではリチャードが邪魔視してティレルなる男に殺すよう命じます。「時の娘」では暗黙のうちにヘンリーが手を下したことになっています。その根拠は「もしリチャードが手を下したならそれを理由に出来るはずだ」ということがひとつにあるように思えますが…ちょっと待て?
 だとしたらどうして、仮にヘンリーが2人の王子をロンドン塔にて殺したとするとそれをリチャードは告発しなかったんでしょうか。逆の疑問が生じます。史劇などでは散々このことは言われているのに、歴史書ではあまり取り上げられていないというのはなかなか注目すべき点ではないでしょうか。情に訴えてお互いを告発することも可能なのに、「宣言書」などではそれを行ってません。不可解。

 「バラ戦争の研究」によるとリチャード3世が簒奪によって王位を得たことは明らからしく、そのせいで人気が元々なかったと書いています。そこに拍車をかけたのが財政難による「献金強要策」。次第にヨーク派貴族もリチャードの元を離れ、それと同時にランカスターの最後の象徴的存在であるリッチモンド伯ヘンリー(亡命中)に注目が集まります。
 結果的に、ボスワースにおいて義父のスタンリィ卿をはじめとするヨーク派貴族の裏切りもあってヘンリーは勝利、リチャードは戦死するのですが、ヘンリー7世として即位した彼は質実剛健を地でいくような統治をし、とりあえずイングランドを平らかにしたという点では評価できると思います。ただ、息子の教育には難があったかも……

 もひとつおまけ。エドワード4世の長女、エリザベスはこの状況をどう見ていたのかな、というのも興味が湧きます。2人の王子を殺されたことを知っていたとは思うんですがそれがヘンリーなのかリチャードなのか、どちらにしても彼女の嘆きは深いものだったと…。で、そのどちらにも求婚(もちろん政略結婚ですが)されていることにどう思ったのか。諦めの気持ちが強かったのかもしれません。ただ、リチャードおじさんは知ってるけど、13歳上だし叔父だし。ヘンリーはそれより少し(8つ上)若いけどランカスターだし。うーん。
 ちなみに、結婚式のときはヘンリーが29歳。エリザベス21歳。それまで独身だったのか、ヘンリー…(何書いてるんでしょう)。

1999.04.13