第10回 ばら戦争

 さて、FFTのメインでもある獅子戦争のモデル、薔薇戦争について先に述べたことを更に詳しく紐解いてみましょう。某人物のモデルが誰であるか、きっとすぐに分からないことでしょう(おい)。

 百年戦争終結の二年後、権力の獲得を巡って激しい内戦が展開され始めます。これが薔薇戦争(1455〜1485)。赤薔薇を紋章とするはヘンリー6世の家系ランカスター家。そして白薔薇は敵手、ヨーク家。
 ヨーク家のリチャードは、1460年、ヘンリー6世を捕虜にすることと、自分を王位継承者として認めさせることに成功します。しかし、そのすぐあとで、彼は戦いに破れて殺され、ヘンリー6世が即位。しかししかし、リチャードの息子エドワードは父親の復讐を図り、ヘンリー6世を廃位、自分が即位しました。しかしまだまだこれから。
 しかし、ヘンリー6世は確かに王の器ではなかったようです。それ故に彼の従兄弟エドワード4世(ふふふ、書いていて混乱してきました)が最後の直臣と王位継承者の称号を二つながらに持つ強大な男爵、ウォーリックの後盾で王冠を被ることにもなったともいわれています。その後今度は後盾ウォーリックとエドワードの間で抗争が起き、王位はヘンリー6世とランカシャーに戻ります。
 ですが、ヨーク家のエドワードは結局後盾ウォーリックを打ち負かし、ヘンリー6世をも暗殺し、ついに即位します。
 ヨーク家の即位は成立しつつある議会の権威に大きな打撃を与えました。王位継承者であるはずのランカシャーの家の王たちは、議会による叙任式を求めましたが、ヨーク家の嫡子継承権を主張したのです。さあ、これからがいよいよです(一体何のだかは聞かないように)。

 エドワード4世はふたりの息子を残していました。そのうちの長男がグロースター公リチャードの摂政のもとに王位を継承。しかし、この叔父でもあるリチャードは王・エドワード5世(即位当時12歳)に保護の手を差し伸べそうな者はすべて遠ざけ、王を孤立させてしまいます。さらに甥の幼き王・エドワード5世とその弟である王子を塔に幽閉して殺し、1483年自らがリチャード3世として即位してしまいます。そしてこの王子達の暗殺の噂が一般に広がったことが人々の反抗心に絶好のはけ口を与えてしまったのです。ここにリチャード3世の反対派は結集、ヨーロッパはフランスに亡命していたランカスター家の生き残り、リッチモンド伯ヘンリー・テューダーの旗印のもとに集まりました。

 このヘンリーが何者であるか、それはまずは置いておいて。この人はランカスター家の生き残りでありました。フランスに亡命はしていましたが、母を通してランカスター公の直系の子孫。このヘンリーがエドワード4世の娘であるヨーク家のエリザベスと結婚すれば家はひとつになりめでたし、ということになります。
 これに危機を感じたリチャードはエリザベスと結婚することを考えます。エリザベスは自分の姪御でした。しかし、ヘンリーは(さあ、誰でしょうFFTでは?)イギリス人の亡命者とフランス人の冒険家からなる二千名の軍を率いてイギリスに上陸。テューダー家がウェールズの出のためにウェールズが味方に。そういう状況の中でついに1485年、ボズワールの戦いでヘンリーは勝利、リチャードは戦死。

 その後、ヘンリーはヨーク家のエリザベスと結婚。薔薇戦争は終結し、封建大貴族たちの同士討ちにより王権に対してもっとも反抗的であった部分がほとんど壊滅してしまうのです。このことは即位したヘンリー7世の国家再建事業を容易なものにし、その後のテューダー朝はイギリス絶対王政への基礎となりえたのです。

 ……というのが表の話なんですが、はっきり言ってこれだけではなにがなんだかさっぱり、誰がどうして何だって?の世界でありましょう。そして、今語ったことは通説であり、けして真実かどうかは「?」なのです。真実はもっと違うところにあるのです。
 イギリスの王政の中でも最悪の王、幼王殺しと言われるリチャード3世。そして薔薇戦争を終結へと導き、その後の政道にも精力的にこなし善王と呼ばれたヘンリー7世ことヘンリー・テューダー。それは果して真実なのでしょうか?

 しかし、その真実を書いてしまうには私はあまりにも力量がなさ過ぎますし、長くもなります。どこがどうFFTと関連するのか、しっちゃかめっちゃか分かったものではありません。ですから、この本をお勧めしましょう。薔薇戦争での真実を追究する(といっていいのかな?)ミステリー小説「時の娘」(ジョセフィン・テイ:ハヤカワ文庫)です。
 陰に隠れた真実……それはいつの世でも、現実でも空想でも、もしかしたら明らかになったとしても既に認識されていることを変えうる力は乏しいのかもしれません……。

1999.01.03