第8回 ディリータの機動力

 いつかどこかで書こうかなと思ってたのですが(まだ思ってるのですが)…もしくはもうどこかで書いたのかもしれないのですが、ディリータが王様になるまでの起動力って一体どこから来るんだろう?と思います。結構成り行きできたんではないだろーかなんてよく思うんですが。
 最初はとりあえず「誰にも利用されたくない!自分の足で歩きたい!」それ一心だったと思うです。そこにディリータの場合は才覚がついてまわった。歴史が彼と共に動いたとでも形容すべきでしょうか。そしてディリータのほうもそれに気づくのが早かった。言うなれば「自分をまず利用した」んだろうなと思うです。上に上るためではなく、どこまでも利用されない、ただそれだけのために。そしたらば地位がどんどん付いてきて……というのがひとつの見方だと思います。
 だから、オーボンヌで(1章・2章頭)ラムザと再会したときはディリータにもまだ未来は見えてなかったでしょう。もちろん教会の手足となってその頃は動いていたのですからそれはもっともかもしれないですけども。

 個人的には、やっぱりオヴェリアに接したのがきっかけじゃないかなと思います。自分やなくなった妹を彼女に重ねて見たのもそうだけど、「もう同じ思いをする人間を見るのはたくさんだ」、そう思ってたんじゃないかなと。結果、それ以降の(ゼルテニアの教会跡でディリとオヴェリアが話した後)ディリータはある角度から見ると「今までオヴェリア姫さんが背負ってきたものを肩代わりしようとしている」と見ることも出来ます。というか、私はそのように見ているです。利用しようとしているのではなく肩代わり。自分が英雄になるのにディリータは妙にさめた言い方をしていたのはそのせいではないでしょうか。結構彼は王位そのものには執着はなかったんじゃないかなと思います。
 ただ、オヴェリアさんはディリータが自分を王位につかせてくれる、守ってくれるのだとただそれだけを信じてきていたはず。だけど、だんだん彼自身が権力者の位置に近くなっていくのを目の当たりにすると「自分はもういらない存在なのだ」、そう思うようになります。信じようにも「事実」がそれを阻みとどめがゼルテニアでの「ディリータの裏切り」。まさにオヴェリアから見れば裏切りです。見ている私たちからすると(今までのディリを知っているので)いまいち裏切りには見えないところが実はあります。私もどうしてだろうと幾度も首を傾げたのですが要はそういうことだったのでしょうか。「民衆は英雄をほしがる」、そして英雄を王に押し上げる、そうすると自分の行き場はなくなる……不要と思うものはきっとディリータは排除するだろう……そう思いつめてオヴェリアさんは悲劇を引き起こしたのだと、そう思います。
 となるとオヴェリアさんはやっぱり自分が王位についていたかったのでしょうか。私にはどうもそうとは見えないのです。彼女はあまり政治には向いてないと思います。というか修道院という、世間と隔絶されたところで育った彼女にはちょいと無理があります。自分でも多分それに気付いてたと思うのですが、何もかもすっとばされて、説明なしが「裏切り」という悲劇を招いたのでは……かなりの横道にそれてしまいました。

 閑話休題。
 しかし、王になってからのほうが実はよっぽど大変だとは思います。起動力より持続力。マニュアルに良く治世したと書いてあるのでそれを信じることにしていますが、それって結構大変だったんじゃないかなと思うのです。

1998.11.25