あやかしの星

「神託が出た」
 謁見の間から戻ってきたディオンはそう言うと、神皇猊下より賜ったと思しき飛竜草をそっと執務机の上に置いた。
 硬い響きの声は、僅かに苛立ちを含んでいる。それを懸命に抑え込んでいるような具合の彼に、テランスは拝謁の際に何があったかを察した。
「どのような神託が?」
 テランスの問いに、ディオンは即答しなかった。腕組みをし、西側に設置された窓から外を眺める彼は、何かを探しているようだった。
 何があったのだろうか、と思いながら、テランスは彼の傍を離れた。
 いつでも飛竜草を生けられるように、とディオンの自室には花器が用意されていた。こぶりなそれを手にし、水差しから水を注ぐ。花びらが落ちてしまわぬように慎重に飛竜草の茎を掴んで、花器に生けた。
 可憐で繊細な、美しき花。
 彼が大切に思うその花を、テランスは握りつぶしてしまいたいと思うほど大嫌いだった。
 ――この花を彼が下賜されたということは。
「星詠みによると、数日前から西北の空に見慣れぬ星が出ているとのこと。薄暗い尾をひいているから目立ったのらしい。文献を探ったが、その星については何の記述も見つからなかった。……ただ」
 陽が落ちたばかりの西の空。此方を見ることなく、夕闇の空をディオンは眺め続ける。
 花器を机に置き、テランスはディオンの斜め後ろに立った。夜気が入り込んでくる前に木戸を下ろさなければと思うが、今はまだできない。
 西の空に出たという見慣れぬ星。
 それは。
「他の文献を調べた結果から考え、その星は「あやかしの星」だろうと星詠み達は結論付けた」
「あやかし……」
 ディオンの言葉をテランスは繰り返した。その言葉に、ディオンが頷く。
「あやかしの星は、凶事の前触れ。奏上された神託の一節だ……あの星か」
 半身をずらし、ディオンがテランスを手招いた。
 ディオンの隣でテランスも西の空を眺めた。あやかしの星とはどの星のことか。薄暮に星は疎らで、明るい星はいくつもなかった。目を凝らして空を見る。
 やがて、それらしきものを見つけた。豊穣星の斜め下、青白い光を鈍く放つ星があった。
「尾はよく見えませんが、あれが?」
「そう。望遠鏡で見ると、尾があるのが分かるらしいな」
 ようやく窓から離れたディオンを横目に見ながら、テランスはクリスタルランプを灯した。薄暗かった部屋が仄かに明るくなる。もう少ししたら木戸も下ろしてしまおうとテランスは思った。
 だが、それよりも前に。
「凶事を退けろ、と猊下の仰せだ。ウォールードを今一度叩け、ということだったが」
 少し、骨が折れるな。ディオンはそう言うと、苦い表情で笑った。
 精神を安定させるためだろう、そうして細く長い息を吐いたディオンをテランスはただ見つめる。
 ――何か、何かできることばあればよいのに。
 彼の苦悩を退けられたら、どんなにか。
 備わったバハムートの力。戦の道具として扱われる身。戦況。当然のように命令のみを下す愛なき彼の親。蔑視と嘲笑。奸計。期待と安堵のまなざしで見る民。……そのなかには自分も含まれている。
「だが、いつかはと考えていたことでもある。好機ともいえるだろう」
「ディオン様」
 言い聞かせるように言葉を繰り出すディオンが切なくて、テランスは歩を詰めた。
「ん?」
 ランプの灯火がディオンを照らす。小首を傾げて此方の言葉を待つ彼の肩にテランスは自分の手を置き、そこから彼の手指までゆっくりと撫で下ろした。
「テランス?」
「御身を第一にお考えください。戦となればバハムートへの顕現も増えましょう」
 召喚獣への顕現はディオンに多大な負荷を与えている。しかも、彼は顕現することを厭わない。民の、国の、兵の、猊下の望みのためならば、と自身に言い聞かせ、彼は光を放つ。
 しかし、それは彼自身の命を削り落とす行いだ。
「仕方がない。今までもそうであったし、戦況次第ではこれからはさらにその必要が出るだろう。それに、私が考えるよりも其方が先回りをしてしまう」
 ふふ、と笑うディオンに、テランスは憮然とした。
「ディオン様。……ディオン」
 さらに歩を詰め、彼の額に自らのそれを当てる。
「貴方のことだけを思えば、私はとうの昔に此処から連れ出してしまっているでしょう。でも、それはできない」
「テランス」
 穏やかな声色で彼が名を呼ぶ。テランスは懺悔をしているような気持ちになった。
「貴方がそれを望まないから。……望んでいたとしても、きっとその感情を無視して封じるだろうから」
 ――だから、私は貴方の傍で精一杯のことをするだけです。
 テランスはそう告白すると、ディオンを抱きしめた。
 あたたかい、と思う。そのぬくもりは彼が生きているという証。これは、夢ではない。
「そうかもしれないな」
 ディオンもまた、テランスを抱きしめてきた。背に回した彼の手は少しずつ上へと上がり、整えたテランスの後ろ髪をいつものように撫で上げた。
「……星詠みが考えているのと反対に、あやかしのあの星は」
 その身を預けることにしたらしいディオンがテランスに囁くように呟く。耳元で囁かれる響きは心地よくて、擽ったい。あの星は?とテランスが先を促すと、彼が笑う気配がした。
「そう……、実は吉兆かもしれない」
「……どうしてそう思うの?」
 平易な言葉遣いで問うたテランスに、ディオンは説明しなかった。ただ笑うだけの彼はテランスには不可解に思えたが、此方を求めてくるまなざしがその疑問を閉ざした。
 強く抱きしめて、口づけを交わす。若干の抵抗を封じて身を一度離し、木戸を下ろした。
 クリスタルランプを消してしまうと、闇が近付く。あやかしの星を含めたすべての星も遠ざけてしまって、そうして。
 それでも残された光に向かって、テランスは手を伸べた。



 ――後に。
 今度は南の空に出現したというあやかしの星を見上げ、テランスはあの夜を思い出した。
「……そういえば」
「ん?」
 共に空を見上げていたディオンが問い返してくる。
「何故、あの星を吉兆だと思ったのですか?」
 覚えているだろうか、と思いながら訊ねたテランスに、ディオンは数拍の間の後に「ああ」と呟いた。「あれは」と続ける彼の声はやはり笑み含みで。
「お前と共に在れるのでは、と思った。如何なる状況下でも私を――、ディオンという存在をお前は忘れないだろうと。……それは私にとって何よりの喜びだったから」
 願いを託すようだった、と語ったディオンの身をテランスは自分へと寄せた。
「……その願いは星ではなく、私が叶えます」
「分かっている。今ではな」
 夜の静寂に空を見上げれば、星月夜。あやかしの星もこの星海に浮かんで輝いている。
 星を遠ざける必要はもはやない。同じように、自分の感情に固く蓋をする必要も。
 あのときの願い、これからの誓い。――誓いは、自らの心で。
 分かっている、と繰り返した彼にテランスは微笑んだ。彼に刻み込んだ自分の想いは、これからの彼をときに救い、ときに苛むのだろう。おそらく、自分にも彼はそうしたのだろうけれども。
 同じ空を見上げ、同じ未来を見る。その望みは、ずっと続く。
 失った光よりも強さを増した彼のまなざしに、導かれて。
 それでもときに戸惑うだろう彼の手に、自分の手を差し伸べて。

 そうして共に生きていくのだと、取り戻した星空に思いを乗せた。

あとがき

「夜語り」第4弾です。話の大半の舞台がED後でなくなったのは初めてとなりました。ベレヌス戦役の前……か後か、いまいちはっきりさせていませんが、あのあたりということで。後日談はオリジン崩壊&生還後です。

あやかしの星は彗星のことですが、漢字にすると妖星、となれば妖星乱舞を連想しまして、脳内BGMでパイプオルガンが鳴り響いていました。余談。

2024.07.20