暁降

 これ以上は、眠れそうもなかった。

 暗がりに慣れた目で天井の梁を追う。
 空の文明の遺物――飛空艇というのだとか――を棲家として使うことを決めた際に、ここの住人達は居住空間に快適性を求めてあれこれと「改造」したのらしい。その一環で、遺物に突き出すような形で居住区が拡張されており、その工事は今でも続けられている。
 この部屋もそのひとつだった。少しく曲がった木材を梁として渡し、遺物の壁に突っ張らせている。天井そのものは遺物でできているが、部屋のすべてを覆っているわけではないらしく、渡した梁を支えにして木造りの屋根と耐水性の布がかけられているというわけだった。
 しかし、そのようなことはどうでもよい。
 見上げた天井から連想してつらつらと出てきた思考を、ディオンは打ち切った。寝転がったまま伸びをし、そのまま腕を真横に投げ出す。
 ぽすん、と音を立て、腕は敷布に着地した。続けて、前後左右に動かしてみたが、腕も手もどこにも当たらずに敷布の上を滑るだけだった。
 いつもは隣にあるはずの温もりが、気配が、今宵もない。
 独り寝を言い渡されたのは、一昨日の朝のことだ。
 常のように額を擦り合わせた際に恋人は神妙な顔つきになった。そうして少しばかり考え込んだ後、此方の手をとって脈を計った。どうした、と問う前に『どうして隠すんですか』と少し怒ったように彼は問うてきた。
 何を言っているのか、よく分からなかった。隠し事は別段何もしていない……筈だ。おそらくは。
 そう告げても、恋人の機嫌は治らなかった。無言のまま手を引かれて部屋の戸口から離れる。そうして、常用している簡素な寝台に転がされた。
 突然の彼の行動に驚く己に、彼が手を伸ばす。待て、と伝えても無視された。整えたばかりの衣服を慣れた手つきで脱がせてしまうと、彼はチェストから寝間着を出した。途中までの一連の行動に若干の期待を持ってしまっていた己は、そのとき初めて寒気を感じた。
『熱があります。タルヤ先生を呼んでくるから寝ていて』
 あっという間に着せ替えると、彼はそう言って部屋を出ていった。
 やれやれ、いつもながらに大袈裟なことだ。心配性の彼の行動に溜息をつきかけて、己の呼気が荒いことに気付く。石と化してしまった腕以外のあちらこちらが妙に痛んだ。
 そういうことか、と諦めの気持ちで掛布に包まる。心地よい温もりを想定したのに、実際はぞくぞくと寒気が増すばかり。続いてやってきた震えは次第に止まらなくなり、歯の付け根が噛み合わなくなった。
 横向きになって、ぎゅう、と小さく丸まる。そうすればやり過ごせるかと思ったが、状況はいっかな改善しない。なんということだ、と己の体たらくに舌打ちしたくとも、舌を噛みそうでできなかった。
 やがて、彼――テランスがタルヤを伴って戻ってきた。
『無茶はしていないでしょうね?』
 真っ先にタルヤにそう問われ、頷いたところまでは覚えている。ならばよろしい、と言った彼女と半歩後ろで見守る彼に『大事ない』と返しかけ――、記憶はそこで途切れた。


 風邪ね、と手短に診断を下したタルヤの命に従い、ディオンは回復に努めた。苦い薬湯を飲み、モリー直伝のテランス手製の粥をなんとか食べきった。とにかく眠ってください、と怒ったように言う彼に苦笑し、その命令にも従った。『心配せずとも良い』と言いたかったが、睨んでくる彼を見てしまえばそれもできなかった。
 そうして独り寝で過ごすこと、二日弱。どうやら、眠りの海から打ち上げられてしまったらしい。
 冴えてしまった目と思考、そして寂しいと感じてしまった心のままにディオンは起き上がった。ずっと横になっていたからだろう、体は若干ふらついたが、動けない程ではない。暗がりのなかで平服に着替え、上履きを履く。手ぐしでざっと髪を整えて部屋を出た。
 蝋燭の灯りが潰えて人の気配はなく、「隠れ家」はひっそりと静まり返っていた。しかし、遠くにごくうっすらと山並みが見えることから判じると、暁降の頃合いといったところか。
 彼はどこにいるのだろうか。一昼夜会っていない恋人を思う。間借りしているという居住区で眠っているか、あるいは外に出ているのかもしれない。ここは常に人手不足だ。
 たった一日会わないくらいで、と自嘲しながら階段を下りる。昼間は賑やかなサロンも今は無人で、ネクタールの姿もなかった。
 長椅子に座り、卓に肘を置いて頬杖をつく。誰も見ていないからこのような振る舞いも問題はない。そっと夜気を吸い込むと、心地よさを感じた。
 寂しい。会いたい。傍にいてほしい。温もりを、熱を感じたい。
 これは強欲というべきなのだろうか。それとも、ささやかなものなのだろうか。
 置かれた立場からすれば、疑いようもなく強欲に過ぎるのだろう。本来はそのような望みを持ってよいはずがないのだ。
 しかし、そう思うたびに彼が言う。もっと望んで。願って。心を見せて、聞かせて。希うそのさまにつられるように曝け出す己を彼は愛おしんだ。
 私のほうこそ。ディオンは無人のサロンで笑う。彼の望みを、願いを、心を知りたいと思うのに。
 独りではそれらの望みは叶わない。共にいなければ、けして。
「ディオン?」
 背後から突然呼ばれ、ディオンは振り向いた。見れば、テランスが足音も立てずに階段を下りてくる。彼が自らの気配を殺していたのか、己がぼうっとしていたのか、慣れた気配に気付けなかった。
 立ち上がろうとするディオンをテランスは制した。探したよ、とやはり少し怒りを帯びた気配で言う彼に、すまない、とディオンは素直に謝った。
「目が覚めてしまった?」
「そう。あれだけ眠ればもう充分だ」
 未だ闇を帯びた空の下、表情や顔色はあまり伝わらないだろうとディオンは思った。それ故に常の所作で額を合わせる。
「ほら」
「大丈夫そうだね。――ですが」
 下がった熱をそうやってディオンが伝えてしまえば、テランスは安堵の溜息をついた。そうして、ひとつ咳払いをしてから言葉を繋げる。
 たぶん、お決まりの台詞だろう。ディオンは笑い、彼の言葉を奪った。
「「御身をお労りください」、か?」
「……まあ、そういうこと。よく分かりましたね」
「何千、何万回と聞いたからな。……テランス」
 笑みを潜め、ディオンはテランスを呼んだ。ここに、と昔から変わらぬ返事を貰い、心が解けた。
「キスを」
 それだけをディオンが告げると、ふ、と空気が揺らいだ。その揺らぎに顔を上げ、目を閉じる。
 夜のなか、そうして影は落ちた。

あとがき

「夜語り」第3弾は明け方一歩手前の夜のお話でした。先日手に入れた「宙の名前」で知った言葉です。それにしても「宙」と書いて「そら」と呼ぶのは昔から?ガンダムから?

2024.07.15