もしも私達が

 誰が話していたのだったか、うっすらとも思い出せない。何時、そして何処でだったろう。城か、戦場か、己が壊した瓦礫の傍か、灯籠の流れゆく川縁か、頬に刻印を持つ者が多く住まう場所でのことか、不気味な青に揺らめく「敵」を薙いだ時か、勝手な望みを押し付けた時か、最後に向けて旅立つ前のことか。崩れ去った世界で、新たに始まった時代のなかで生きる今のことか。
 そのどれもがそうなのだろう。場所、人、時。どれもが当てはまる。多くの者にとって、その思いはその時々にあったに違いない。
 ――どうして、こんなことに?
 どうして、の中身は人それぞれだ。ディオンはそう思う。自らの状況の変化に対応できなくなれば、その思いはより強くなる。己自身がそうであったように。
 故に、「人」は思いを重ねるのだろう。
 ――もし、あのとき。別の選択肢を選んでいたのならば、こんなことには。
 その思いに辿り着ける者は、すべてではない。現実には、自らの力ではどうにもできない状況下に置かれていた者のほうが多いだろう。ベアラーだけではなく。
 だが、仮定の問いかけは誰もが思うのだ。ああだったら、こうだったら。いにしえの時代――「人」が思考を持つようになったその時から、忍び寄る思い。問いかけ。
 そうした多くの問いかけのひとつをディオンがふと思い出したのは、熱いひとときを過ごした後のことだった。
 ――もしも。
 何故か、脳裏をよぎった。きっかけが何かあったわけでもない。……強いていうならば、生きているということを強く感じた直後だからだろうか。
「ディオン?」
 気を失ったと思ったのか、耳元でテランスが名前を呼ぶ。そろり、と覆い被さっていた体を退けようと身じろぎした彼の腕をディオンは掴んだ。そのまま、力任せに引っ張る。
「わっ」
 突然の仕業に応じ損ねて体勢を崩したテランスを受け止める。両手を背に回して抱きしめると、もう一度「ディオン?」と名前を呼ばれた。情を交わした後だから、その声色は常とは違った色を帯びていた。最中ともまた違った、慈しみに満ちた深みのある声色。おそらく、否、確実に己しか知らない声色。
 その響きに心地良さを感じながらも、ディオンはテランスの呼びかけに応えなかった。代わりに、腕の力を僅かに強め、ぴたりと彼と体を合わせた。
 よく知っているあたたかさ。よく知っている重み。そして、伝わる鼓動。
 ディオンの一連の所業に何かを感じ取ったのか、テランスが自らの体の力を抜く。少しばかり増した重みに、ディオンは笑んだ。
「重くない?」
「重い。……だが、それがよい」
 テランスに問われ、ディオンは今度は返事をした。しかし、喉が干上がってしまったから、少し聞き取りにくかったかもしれない。ディオンはそう思った。掠れ声になってしまっているのが分かる。けほ、と軽く咳き込むと、間近でテランスが心配そうに顔を覗き込んできた。
 彼が腕をついて体を浮かせた分だけ、重みが減る。そのことに何故か淋しさを覚えたディオンは再び腕に力を込めたが、ディオンの意に反してテランスは身を起こした。
 ――今の己は、彼を引き留めることもできない。そのような力も失った。
 ディオンの心のなかに淋しさが浸透していく。彼はどうして傍にいるのだろう。他方で、どうして離れていくのだろう。……どちらも己が願ったから、優しい彼は叶えてくれているだけなのかもしれない。
 絶対に違うと頭では分かっているのに、そう思う己がいる。考えてしまう己がいる。
 不思議だった。
「また、変なこと考えているでしょう?」
「……変、とは」
 空を切った挙句に腕を投げ出して転がっていたディオンの体をテランスは抱き起こした。けして軽いとは言い難いだろうに容易くこなしてしまう彼をディオンは睨んだが、テランスは動じる気配を見せない。器用にも片手でカラフェからゴブレットに水を注ぎ、ディオンに手渡した。
「ゆっくりね」
 例の声色でテランスが言う。言われるがままに少しずつ水を飲むと、次第に喉も潤ってきた。半分ほど飲んで、ディオンはゴブレットをテランスに返した。
「何を考えていたの?」
 当たり前のようにテランスは残りを飲み干し、寝台の脇に据えられた卓にゴブレットを置く。両の腕でしっかりとディオンを抱き寄せ、昔からの所作で額を合わせてきた。
 よく知っているあたたかさ。よく知っているまなざし。
 闇に慣れた目で見るより、気配で分かる。どんな表情で、彼が己を見ているか。
 それはきっと、己に歓びを与えると同時に、己の脆さを突き付けるような具合で。
 ――彼は、自らの感情を隠さなくなった。躊躇なく、己の心の水底に触れるようになった。
「少し、上の空だったね」
 深みのある変わらぬ声色で、彼は問い詰めてくる。やわらかに、しかし、まっすぐに。
 ――己は、嘘をつくのが下手になった。弱くなった。そして、臆病になってしまった。
 それでも、その事実を厭うているわけではなくて。
 泳ぎかけた視線を彼に向ける。両手で彼の頬を包み、ディオンは小さく頷いた。覚悟を決めて、心の内を伝える。
「……こうして共に在れるのは、何故なのだろう」
 すぐ傍の彼にしか届かないほどの声量で、ディオンは呟いた。
 テランスは何も言わない。続きを、と無言で促した。
「……私の我儘な願いが叶ってしまったのは、どうしてなのだろう」
 すべてが在って、今が在る。テランスは時々そう言う。ディオンもその言葉に真実を感じている。……だが、一方でその「すべて」に巻き込まれてしまった者達が辿った道行きを思うと、「今」が怖い。
 己ばかりが幸福を感じてよいのだろうかと、そんな思いが鎌首を擡げる。
 巻き込んでしまった筆頭を目の前にして、そんなふうに考えてしまう。
 本当に、これで?
「ディオン」
 名を呼ばれ、ディオンは体を彼に預けた。
 紡いだ問いも、紡がなかった言葉も、彼には届いてしまったようだった。それはそうだ、この問答をしたのは初めてではない。何度も、何度も繰り返してきた。――青空が戻り、己が「只人」として彼と再会し、それでもすぐには重ならなかった心。歯車がずれたままで時が過ぎていき、それでも心の内を、底を曝け出せなかった。何故、どうして、私は現に。その問いが彼を傷つけていると分かっていても、問いの向こうにある願いという名の我儘を伝えるのは怖かった。
 伝えれば、彼はどうするだろうか。前と同じように、叶えてしまうのだろうか。それとも他者と同じように、刃を向けるだろうか。……あるいは、去っていくだろうか。
 ひどく、怖かった。再会など、しなければよかった。生き永らえるなど、まさか。そんなふうに思えた。
 土砂崩れした道で立往生している己に、彼は手を差し伸べなかった。それでよい、それが正解だと思った。思おうとした。
 だが、違った。
 自身の感情に折り合いをつけるので精一杯だったのだと、後に彼は語った。「君が消える悪夢を、恐怖を、どうにもできなかった」と。ふらふらとした足取りで幽世へ行ってしまうのではないか。繋ぎとめるすべを自分は持ち合わせているのか分からなかった、共にと願うこの感情をぶつけるのはエゴではないか。
 でも、それでも。彼は言った。夜風が吹くなか、自らの想いをそうして告げた。手を、己に向かって伸ばした。
 傍に立って同じ未来を見たいのだと、願いを告げた。初めて、願いを突き付けた。
 そう、初めてだった。彼の我儘を、初めて聞いた――。
「怖い」
 触れるだけの口づけの後で、テランスが呟いた。ぎゅ、と抱きしめられ、ディオンは息をつく。あたたかい。
「……」
「君のその問いは、僕にとって苦しくて怖い。……けれど、ディオン」
 テランスの声色が切実なものに変わる。これも何度も聞いた言葉。声色。想い。同じやり取り。きっと、これからもずっと繰り返していく。ふたりが共に在る限り。
 ディオンは、テランスの言葉を待った。
「その問いを、願いの裏にあるこころを聞くことができるのは、僕だけだ。そして、僕だけが答を持っている。君にもけして教えない」
「……ああ」
 与えるだけの愛では、歯車は直らなかった。
 与えられるだけの愛では、未来の姿は見えなかった。
 同じ問答を繰り返しながら、ときには変わるかもしれない答を探りながら、命ある限り、共に生きていく。人として、同じ未来を見る。……そう誓い合った。
「前に、思ったことがあって」
 夜の静寂に暫く身を任せた後に、テランスが思い出したように言った。顔を上げてディオンが先を促すと、闇のなかで彼は微笑んだ。
「……すごく怖くて、すぐにその思いを引っ込めたのだけれど」
 彼が、自らの弱さを告げる。心を、自らの意思で曝け出す。それもまた、世界の理が変わってからのことだった。
「何だ?」
「もしも、僕達がこうして出会うことなんてなかったなら」
 「始まり」がないのなら、「すべて」もない。「今」という世界もない。あたたかくて、切ないこの心も持ち合わせなかっただろう。只の兵器として己は在っただろうが、……彼はどうしたのだろうか。どのような人生を送ったのだろう。
「……テランス」
 ディオンはテランスに口づけると、昔からのように彼の後頭部を撫でた。そうするのが己は好きだったし、そうされるのが嬉しいと彼が言った。――そんな触れ合いも、「もしも」の世界には当然なかっただろう。
「だが、私達はこうして出会えた。……お前が、しっかりと私に手を伸ばしてくれたから」
「……あたたかくて眩しい光を見たら、手を伸ばすのは当たり前だよ」
 初めて出会ったときのように。
 ずれてしまった歯車を再び噛み合わせたい、否、新たな円環を得たいと願ったときのように。
「私にとっては、お前が光だ。無音の闇に、唯一の光を見た」
「同じ、だね」
 ふふ、と笑い合い、やがて沈黙が落ちる。
 視線を絡めて、抱きしめて、口づけて、ゆっくりと体を傾せていく。
 ――互いの内なる光を見つめていれば、闇を恐れる必要はない。
 そうディオンは強く思う。おそらく、テランスも同じ思いだろう。ふたりで生み出した、ふたりだけの真実。
 その意味を噛みしめながら、熱を交わした。

あとがき

このお話は2024.12.01に開催されたテラディオオンリーにて無配として書いた作品です。二次元コードをスマホで読み取っていただくとこのページに辿り着く…といった具合でしたが、時間も開催から少し過ぎたので一般公開と相成りました。

ED後の世界でふたりが一緒にいることができるようになったとしても、ディオンは相当揺れると思っています。頭では分かっているし、感情も前を向いているんだけど油断するとふらふらり。全部全部分かっているけど、というディオンを見るテランスもゆらゆらり。ふたりで手に手をとって支え合っていけたらいいなあと…そうでありますようにと願うような気持ちで書いてみました。しかしながらこのくらいだとR-15なのだろうか大丈夫なのだろうか…? ともあれ、お読みいただきありがとうございました!

2024.12.01 / 2024.12.13