昔日

 既視感、というやつかもしれない。
 目の前――というにはやや遠いが、訓練場の真ん中で繰り広げられている打ち合いを柵の外から眺める。いや、いつの間にか身を乗り出して見入ってしまっていて、ハッと気付いたときには柵から転げ落ちそうになっていた。
 いかんいかん、と思い、体勢を戻す。腕を組み、傍観者の風情を装って、それでも目が離せなかった。
 わあ、と声が上がる。石の剣の面々も自分と同じように食い入るように「手合わせ」を見つめていた。数は少ないが、ここに駐在している聖竜騎士団の――誰しもが「元」なのだが――団員も。
 なんだか込み上げるものがあって、その正体も分かるような気がして、なんともやるせない気持ちになる。
 団員のひとりと目が合う。奴は俺を見ると、肩を竦めた。口の端を上げて、それでも泣きそうな顔をしていた。きっと俺も同じような感じなんだろう。
 こんな日が来るなんて、いっときは思いもしなかった。
 感情の振れ幅が大きくて、少し苦しかった。

 あれは、何年前のことなのだろう。
 ……ベレヌスの後だったのは憶えている。さらにそれから少し経って、大隊を失った正規軍の代わりに防衛の前線に日々送られていた頃だっただろうか。
 一方で、世界の終わりが近付くには、まだ時があった頃の話だ。

「冗談……だろ?」
 誰かの呟きで、その場にいた団員達は我に返った。俺もそうだった。現実逃避をやめて、練兵場の一角で繰り広げられているやり取りに集中する。
 おふたりともヒートアップしているのか、離れていても何を話しているのか聞こえてきた。何がどうしてそうなったのか経緯はよく分からないが、どうやら手合わせをすることになったらしい。誰と誰がって、我等聖竜騎士団の誰しもが忠誠を誓った団長と、その団長が誰よりも信を置いている親衛兵長がだ。
 ――まさか? え、本気のマジですか?
「全力で臨めよ、余に手加減は無用だ」
「望むところです。ですが、ディオン様」
 団長のお言葉に、親衛兵長は微笑みさえ浮かべて頷いた。微笑みっていうか、その笑顔は対団長にのみ向けられるものなのだが、大層怖かった。……あれだ、あの言葉と一緒に浮かべるヤツだ。
「必ずや御身はお労りください」
 ――ほら、出た。
 あー、と誰かが唸る。それもひとりではなく、複数の溜息にも近い唸り声だった。
「ですから、魔法は禁止です」
「余の攻撃手段のひとつを封じるというのか。随分と弱気なことだ」
「違います。あくまでも御身のため、です」
「となると、顕現は……」
「絶対に、絶対になさらないでくださいね!」
 笑顔のままですごい剣幕で怒鳴った親衛兵長に、団長が呆れ顔で笑みを浮かべる。その笑みを垣間見た瞬間、ほう……と今度は別のたぐいの溜息が広がった。うっとり、という表現が似つかわしいだろうか。団長のあの笑顔は対親衛兵長にのみ向けられるのだが、そのおこぼれに今回俺達はあずかった、というわけだ。ラッキーといえばラッキーである。
 しかし、おふたりの会話の裏に潜んでいるものを、今では多くの団員が知っていた。団長は明言していないし、親衛兵長も何も言わない。けれど、時々聞こえる「御身を……」のその意味と理由は嫌でも伝わってきた。
 団長は聖竜騎士であると同時に、バハムートのドミナントだ。我等や正規軍が不甲斐ないばかりに、戦況に応じて顕現なされることもしばしば。幸運にも、あのベレヌスの戦いほど激しいぶつかり合いは近頃はないものの、団長御自ら必要と判じられたときにはそれでも空を翔けられる。
 親衛兵のひとりが言うには、団長のそのご判断に親衛兵長は一瞬だけ苦しそうな顔をするらしい。だが、それは本当に一瞬で、団長に「ご武運を」と言って送り出すのだそうだ。
 その苦しそうな表情の理由を教えてくれたのは、博識の団員だった。本を読み漁るのが好きで、戦史にはなかなかに詳しい。その団員が言うには、ドミナントであっても顕現や魔法を使う行為は、ベアラーと同様に命を削るのだそうだ。……命、というか、己の身が石と化していくことになるのだ、と。
 そうして、その先には。……考えたくもない。しかし、考える必要はある。団長が「そうならない」ためにはどうすればよいか。
 その思いが誰よりも強いのは、勿論親衛兵長だろう。だって、おふたりは恋仲なのだから。これも団員なら誰でも知っていることだ。
 そんなこんなで、先のやり取りに口を挟める者はいるわけもないのだった。
 痴話喧嘩か?とも思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。何かの売り言葉に買い言葉なのか、我等を鼓舞するためなのか。
 言い合いはしばらく続いたが、やがて話は纏まったらしく、団長が我等を見た。この場から離れるように、という団長の無言の指示に従い、俺も含めて全員が訓練で疲労しきった体を引きずって練兵場を出た。
 しかし、勿論そこで足を止めて振り向く。これくらい離れていれば、まあ危なくはないだろうと判断して、おふたりの「手合わせ」を見物、もとい観戦させていただくことにした。観戦、というのも非礼にあたるだろうか。よく分からないが、とにかく見たかった。
 我等の視線はおふたりにも届いたらしく、顔を見合わせて揃って溜息をつかれていた。
 しかし、その数拍後には壮絶な手合わせという表現は生ぬるい、「激戦」が始まったのだった――。

 はあ、と俺はよく分からない息をはいた。溜息とは少し違う。なんだろう、感傷的になっている。
 団長が(騎士団の長は降りると仰っていたが、俺達は他の呼び方を知らないのでそう呼称している。団長ご自身は苦笑していたが渋々お許しくださった)親衛兵長と打ち合っている。
 得物は、あの手合わせのときと同じ。団長が聖槍、親衛兵長は片手剣。親衛兵長は竜騎士としても長じているが、自ら剣を持たれる道を選ばれた。
「どうしたんですか、溜息なんて」
「……溜息ではありません、コール殿」
 いつの間にか、隣には石の剣の副隊長であるコール殿が立っていた。視線を俺に少し投げて、元に――団長と親衛兵長の手合わせに戻す。
 槍を振るう団長と、それを避けながら攻撃を繰り出す親衛兵長。次第に、団長が防戦一方になっていく。
「……前にもこういうことがあって。それを思い出していたんです」
「お二方が手合わせを?」
「ええ。それはもう本当にすごいもので。……常人を軽々と超える域での激戦でした」
 俺も、視線は目の前のおふたりを追っていた。けれど、どうしても思い出してしまうものもあって、何故かそれを口に出してしまった。
「団長の猛攻を親衛兵長は躱していましたが、その守りに綻びが生じた。それを好機と判じられたのでしょう、団長は高く跳んで――」
「ズバッとテランス殿を制した、と?」
 先回りして推察したコール殿に、俺は黙って首を横に振った。
 ああ、もうすぐ終わるなと思う。
 正直に言うと、今の団長の技量と体力はかなり落ちている。万が一俺と打ち合うことがあったとしたら、ギリ勝てるかもしれない。……まあ、それでもギリってところが自分でも情けなくもあるが、いや、これは団長がとにかくすごいのだ。
 瀕死から――落命寸前で踏みとどまって、ゆっくりではあるが回復なされた。床を離れ、養生し、この訓練場に御姿を現したときに俺は落涙した。その日の夜に書いた日記を悪友が読んでこれまた号泣し、「駄目だ、これは各地の団員に知らせなければ」とヴァリスゼアの治安維持のためにほうぼうに散っている聖竜騎士団の団員に知らせを送った。
 と、そんなことはさておいて。
 防戦している団長は必死の形相だった。対して、親衛兵長は表情を変えずに団長を追い込んでいく。団長の槍が空を切り、親衛兵長はそのまま槍を剣で打ち払った。
「これは、テランス殿の勝利で……え?」
 親衛兵長が丸腰の団長に剣を向ける。コール殿は勝負あったと思ったのだろう、そう言いかけて眼前の光景に言葉を止めた。
 団長が左手をくるりと返す。そうして取り出した数枚の鉄片を、今まさに剣を振り下ろそうとした親衛兵長に投げつけた。
 噂というか騒ぎを聞きつけてきたのか、いつの間にか鈴なりになっていた観衆――我々だけではなくクライヴ様やジョシュア様やジル様、そしてタルヤ医師(説教しようと乗り込んできたのだろうか)をはじめとした隠れ家の住人達も多くいた――が「ええええ!?」と絶句の響きで事の成り行きに驚きの声を上げた。
 その様子に、俺はそっと笑んだ。あのときの俺達の反応とまるで同じだったから。

 団長が繰り出してきた天竜点睛に、親衛兵長は絶体絶命の危機にあった。勝負あり、と誰もが思った。これぞ我等が団長、と早くも感銘を受けそうになった瞬間、親衛兵長は何かを団長目がけて投げつけた。
 豪速で投げられた「何か」を避けるために団長の軌道が少し逸れる。その一瞬を逃さずに親衛兵長が剣を構えて跳び――、そうして決着はついた。
 そのとき、俺達の第一声は「えええええええええ!」で、後は親衛兵長の「用意周到」という名の「卑怯さ加減」に対して親衛兵長に大ブーイングを浴びせたのだったが、団長は妙に嬉しそうだった。
 ……テランスが一切の手加減もせずに真剣勝負をしてくれたのが嬉しかったのだ、とその日のささやかな夕餉で惚気てきた団長の笑顔が忘れられない。

 親衛兵長が団長へその後指南したのだろうか、よく分からないけれども、今の団長は自らの技量不足を補うために飛び道具を使うことに決めたらしい。これまた豪速で投げられたそれは親衛兵長に当たるかと思ったが、やはり予測はしていたのだろう。親衛兵長は頓着せずに微細な動きで避け、団長の肩口に剣を突き付けた。
「今ので勝負あり、です」
「なるほど……」
 コール殿は感嘆の息をはき、音を立てずに拍手した。見ると、他の観衆も等しくそんな感じだったが、そのなかで騎士団の同僚達は顔を覆ったり、泣いたあまりに出てきた洟をかんだり、背を向けて俯いたりと様々に感傷に浸っていた。
 あれから、様々なことがあった。命を落とした聖竜騎士団の団員も少なくはない。旧クリスタル自治領で、ランデラで、そのほか様々な場所で、場面で。離れた者もいる。残念だったが、その気持ちの片鱗は分かっているので止められはしなかった。瀕死から回復した団長も、そうした団員を責めなかった。心からの謝意と幾許かの慰労金をいただいたのだ、とはその後に便りをくれた元団員のひとりだった。
 思い出す。思い出してしまうと、ぼんやりと視界が滲んでいく。頬を幾粒もの涙が滑り落ち、地に落ちていった。
 懐かしい、もう遠い日。
「何を泣いている?」
 そのとき、ゴン、と頭に拳が落とされた。は、とまたもや我に返って声の主を見ると、首筋の汗を手巾で拭いながら団長が苦笑していた。隣には勿論、親衛兵長。
「未来に憂いは多いが、これしきで泣いていたら生きてはいけんぞ」
 そう言うと、団長は他の「元」団員の頭をゴンゴンと殴っていった。そうしながら、それぞれに言葉を贈る。
 その後ろ姿を眺めながら涙はまだ止まらず、しかし、それはけして悲しいものではなくて。
 昔日を思い出しながら、涙は喜びに溢れていた。

あとがき

Xなどで懇意にしていただいている方からのリクエスト&進呈作品です(公開許可ありがとうございます!)。リクエストの内容は「部下に厳しくディオン様に甘い兵長とか……訓練中とかにそれやって全団員からブーイング」というものでしたが、ディオンに一見厳しいテランスになりました。おかしいな。

でもこういった場面で「ディオンをたてる」ことをテランスはしないというか、ディオンがそれを望まないだろうと思うので、「テランスの精一杯の甘やかし」という具合です。正々堂々ではないのでブーイングは出るでしょう。とはいえ、戦場ではそうも言ってられないですが…。

2024.11.10 / 2024.11.02