空の熱を分かち合う

 誰かに相談したいと思ったとき、想像以上に己には相談相手がいないことに、ディオン・ルサージュは今さらながら気付いた。
 だからこそ、なのか。ディオンはそうも考えた。同じような境遇(もちろんドミナント同士ということもあるが)だったらしいジョシュアが、自らの危難を押してまで助力を求めてきたのは。
 そのときの貸し借り(否、己が圧倒的な負債を抱えている)とは考えないが、「この件」についてはジョシュアを相談相手に選ぶしかない。ディオンはなんとはなしに溜息をついた。そもそも、この隠れ家において他の面々に相談するには適切な話題とは言い難い。いや、ジョシュアに話したところで的確な答えは得られないだろう。話は聞いてくれるだろうが、面白がってそれで終わりになるはずだ。彼自身、時々己に対してそれとなく悩みらしき呟きを漏らすこともあるし、そもそも経験値が(噂を聞く限り)圧倒的に足りない。そう考えるとやはり……。ディオンはジョシュアについても不合格もとい不適格の印を押そうとしたが、思いとどまった。とにかく誰かに話したかった。
 本当のことを言えば、ジルかエッダあたりに話せればよいのだが――しかしそれはやはり駄目だろうとディオンは首を振った。
 
 
「……そこまで考えて、それでも僕に声をかけるって、よほどなんだね」
「其方、いや、貴公か? そういえば、どちらが良……」
「そんな仰々しい呼び方、そろそろ止めようよディオン。そうだね、君の恋人が目くじらを立てそうだから「お前」呼びはなしとしても、「きみ」とかでいいよ」
 いつのまにか相談場所として定位置となったラウンジの奥で、ディオンはジョシュアと卓を囲んでいた。昼下がりということもあって、客は皆無である。
 はあ、とわざとらしく溜息をついた後に言い放ったジョシュアに、ディオンは「みな、難しいことを……」と呟いた。
 確かに、他者の呼称は改めなければならないと思ってはいる。もはや己は高位の人間ではない。身分差そのものが揺らいでいくだろうこれからに向け、どのような立ち位置で接していけばよいのか。ディオンには難しい問いだった。
「テランス卿についてはうまいこと切り替えたじゃない?」
 頬杖をついてジョシュアが言う。再会してから間もない頃には「其方」呼びしていたのに、すぐに「お前」に切り替わったことを指しているのだろう。ディオンは苦笑した。
 造作もないことだった。ずっと、望んでいたのだから。――親しい仲であることを公にしたかった。もっとも、すべての場面においてこの望みが叶うわけではないが。
「……テランスの場合は、私ではなく向こうが苦労しているがな」
 ディオンは苦笑したままジョシュアに告げた。ジョシュアも容易に想像できたのか「なるほど」と首肯した。
「「様」を取り忘れるのも、敬語が抜けないのもまだまだ続いているものね。彼を知悉しているわけじゃないからなんとも言えないけど、あの手の類は引きずるよ。……まあ、でも?」
 ジョシュアの声色が少しばかり変わったので、ディオンは目を瞬いた。なんだ、とディオンが促すと、ジョシュアはゆるりと笑んだ。
「ふたりでいるときは流石にそれはないんだろう? だったらいいんじゃない?」
「それは、そうだが」
 決めつけの問いと共に微笑むジョシュアに対し、ディオンは口篭った。どうだろう、と振り返る。確かに、かなり、相当、とても、圧倒的にふたりの「身分差的な距離感」は縮まった。ディオンの強い要望によるものだったが、我儘に過ぎたかもしれないとディオン自身そのように思うこともある。だが、何もかもが変わった世界で、一度壊れた関係を単純に元に戻すのは無理だと思ったのだ。新しいものを用意するわけではない。壊れてそのままにしてしまうのでもない。無論、なかったことにはできない。継ぎ接ぎでもよい、少しずつ歩み寄れたなら。そうして、ふたりで先の道行きを進められるのなら。
 ディオンの告白を聞いた後、テランスはディオンを抱きしめた。頷き、『一緒に』と涙声で言い、そこから彼のディオンに対する態度は少なからず変わった。とはいえ、そうした経緯の後にも「うっかり」は起きているのだが――。
 しかし、色々変わったのだ。そう、色々と。
 そのひとつをジョシュアに相談しようと思い、ディオンは今回の隠れ家訪問でジョシュアを捕まえた。『フェニックスを借りるぞ』とその場にいたクライヴに宣言してディオンはジョシュアを連れ去ろうとしたが、そんな「義弟」にクライヴがかけた言葉といえば『名前で呼んでやってくれ』だけだった。は?と苛立ち混じりの呆れ声のジョシュアに比べ、クライヴはのんびりしたもので、兄弟でも違うものなのだな、とディオンはジョシュアを引きずりながら、もとい、手を引きながら思った。
「話は大体聞いたけれど、やっぱり特段の問題は感じないな。聞かされた僕自身の気分が微妙になったことだけが問題で」
「それは、すまない……と言うべきか?」
「別にいいよ。甘い甘い砂糖菓子を口の中に大量に突っ込まれただけだから。テランス卿が『昼だけでなく「夜」も遠慮しなくなった』なんて惚気を散々聞かされたくらいじゃめげないからね」
 ジョシュアが浮かべた壮絶な笑みに恐れをなし、ディオンは頬を引き攣らせた。



 日程通りに予定をすべて終わらせ、隠れ家の面々に挨拶をしてディオンはテランスと共に隠れ家を離れた。ふたりで仮の棲家(もしかすると終の棲家になるかもしれないが、それはまだ分からないことだ)に帰る。そこまでは数日の旅程とはいえど気ままな二人旅とするにはなかなかに難しく、今回は元聖竜騎士団の団員が三名ほど付き従った。
 初日は、黒の一帯だった地域を進んだ。少しずつではあるが緑が蘇りつつあるのが見てとれる。多くは水辺に苔が生している程度だが、小さな草花を見つけたときにはふたりで感激して暫し見入った。夜は、岩場が出っ張って天然の屋根となっている「旅人の寝床」で寝んだ。野宿同然だったが、ディオンは意に介さなかったし、そんな元上司を「なんとかしてください」と青褪めた顔色で詰め寄った元団員三名についてテランスは笑って肩を竦めた。そうして彼は自らにとってもかつての部下である彼らに少し離れているよう命じたのである。
 二日目は、定宿として滞留することも多い宿場街で宿を取った。宿の主人も街の長もディオンとテランスの素性は知っている。そして、ふたりがそれほど多くを望まないことも。ゆえに、ふたりは(ある程度の扮装をしてはいるが)街中を散歩したり、酒場で延々と語り合ったりすることができた。取った部屋も最上というわけではないが、清潔で整っているところがディオンもテランスも気に入った。
 三日目は、夕時に雨が降りそうだということで早々に街を出た。その甲斐あって棲家に着く頃に本格的に降り始めた雨を避けられたのだが、体はすっかりと冷えてしまった。付き従ってくれた三人をディオンが労っている間、テランスは簡単な食事と棲家に備えた湯殿の用意を使用人に指示していた。
 そうして、夜。
「……」
 自室に据えられた長椅子にディオンはごろんと寝転がった。すべてが程よく満たされ、それがどうにも不思議な気分に陥る。旅の疲れもあるとは思うが、何故か思考がひとつところに定まらない。それどころか、心はずっと騒めいていて落ち着かない。
 原因は分かっていた。テランスだ。
 テランスは奇特な性格の持ち主だとディオンは思う。主従関係は既にないというのに、己に尽くしたいと未だに思うらしい。それはどうなのか、と一度ならず聞いたこともあるが、少し悲しそうな顔で「ディオンは、僕に構われるのは嫌?」と言ってきたので降参した。嫌なわけがない。ないが、こうも手際がよいと胡乱な気持ちにもなろうというものだった。だが、そんな元主人の感情など知らぬ顔をして(知っているに決まっているが)「これは僕の望みのひとつ」と目を細めて幸せそうに言った彼に何かを言えるだろうか。
 やはり、それはない。何より、己が嬉しいと思ってしまっている。
 多くの望みと苦しみを隠し、耐えてきた彼。耐えていることさえ、隠していた。己にも、言わなかった。……否、相手が己だから言わなかったのだろう。ディオンは思った。常に目先のことだけに囚われていた主人を、自分のほうを向いてくれない恋人を、本当はどう思っていたのか。関係を構築し直していこうと決めた際にも、彼は隠そうとした。
 こころを。抱えている想いを。
 教えて、ほしい。
 世界が変わり、しばらく経ったある日――彼が己に言うようになった言葉をそのまま返し、睨むように見据えた。
 次の瞬間、視界がぐらりと回転した。背に感じた柔らかさで長椅子に押し倒されたのだと知る。その日は夕暮れ時、残照はテランスの表情をうっすらと隠していたが、それでも彼が泣きそうな顔をしていたのは分かった。
 ――泣いてしまえ、こころのままに。私のためではなく、自らのために。
 ディオンは何も言わなかったが、内心はそう思っていた。緩く抱きしめてテランスの言葉を待った。
『私のことを……僕のことを一番に考えて』
 絞り出すようなテランスの声色を、あのときの言葉を、けして忘れない。
 身に受けた熱も。
 幾度となく思い出していることなのに、どうしても心も身も少しばかり騒ぐ。いい大人を通り越している己を滑稽に思うこともあるが、熱は容易に引き摺り出される。特に最近は、と思い返してディオンは溜息をついた。
 そのとき、扉にふたりだけの打音が響いた。
「ディオン、入っていい?」
「……、ああ」
 生真面目に入室の許可を求めてきた恋人に、一拍遅れてディオンは返答した。即答できなかったのは、彼の気配を読み取れなかったという動揺から来るものだった。随分と腑抜けになってしまったと自嘲する。けして彼は気配を殺したりはしていなかったのに。
 そういった時は過ぎた。少なくとも、このふたりの棲家では。気配を探ることも、隠すこともない、ふたりだけの世界。
「眠い?」
 長椅子に寝転がっていたことを指したのだろう、テランスの言葉にディオンは「いいや」と否定した。ぼんやりとはしているが、眠くはない。この胸の騒めきは眠気を呼ばないだろう。
 起き上がり、ディオンは近寄ってくるテランスを眺めた。隣に座るように促し、湯浴みを済ませたらしい彼から手巾を奪う。
「……また乾かしてこなかったな?」
 適当、といった風情で撫でつけただけのテランスの髪を手巾でわしわしと掻き回す。はたしてこれで濡れた髪が乾くかと考えると、それは怪しいとディオン自身思っている。だが、思いのほかこれが楽しい。
 幸い、テランスは短髪かつ乾きやすい髪質らしく、ディオンのような下手な理髪師でもなんとかなるのだった。手巾を置き、指腹で頭皮のあちらこちらを軽く押して彼の疲れ度合いを推し量る。今日はそれほど疲れていなさそうだ。
「ディオンは?」
「ふにゃふにゃになるまで誰かさんがケアをしてくれたからな、まるで問題ない」
 問題ない、という言葉を強調して少しばかりディオンはテランスを睨んだ。だが、テランスはといえば、そんなディオンを嬉しそうに見ている。
 先に湯を使ったディオンだったが、悔しいことに思うように体が動かないこともある。今日はそういう日だった。旅の疲れのせいも少しはあるだろうし、天候の影響もある。……帰路で事に及んだ男のせいもあるだろうか。
 ともあれ、ディオンが何かを言う前にテランスは湯殿についてきた。桶に石鹸と手巾とそして整体用の香油を入れた彼は、それらをしっかりと使ってディオンの体を磨き上げ、強張りを解いた。
 まさか、とはじめに警戒したディオンにテランスは笑って『する?』と言ったが、そのつもりはないようだった。ディオンも否定した。そうして、手足をほぐされ、煎じた薬草入りの香油を塗り込められる。だが、そのひとつひとつの所作は、そして彼の指先は、どうにもディオンを煽った。
 彼にしがみついて、眼裏に光が散って、真白の世界。それでも、心は今も騒めいている。テランスのまなざしもそれを助長していて。
「ごめん、ディオン。……でも、ほしい」
 形ばかりの謝罪。それに続いたテランスの欲をちらつかせた囁きに、ディオンは笑んだ。これ見よがしに溜息をついてみせてから、彼の足に跨る。
 ふわりと抱きしめて口づけをひとつ。額をすり寄せ、視界を埋める。
「うれしい」
「ディオン」
 頬を撫で、テランスが名を囁いた。彼の片手がディオンの素肌に触れたのをきっかけに、夜が始まる。
 ただ一言を呟いたが、テランスはディオンの言葉の意味を知っている。ふたりの関係がいびつで対等ではなかった頃、真の意味で満たされることはなかった。かりそめの安らぎを得ることで、心を、命を繋いでいた。空回りを幾度繰り返したことだろう。
 だが、今は。
 ほしい、と望んでもらえる。
 ほしい、と望める。
 星空の下で望まれたときに彼が言った。『僕も、君の空を見たかった』と。
 それが、とても嬉しかった。『ルカーンに弟子入りでもしたか?』と揶揄したけれども。


 望み、望まれることの幸福。彼が望んだ空の熱。
 分かち合うことの喜びを、こうして紡いでいく。

あとがき

2026年2月に参加したテラディオCPオンリーの無配話です。同日発行の「スリーピング・ガーディアン」の前後の話かも? 全員生還願望世界線未来話ですが、LOGOSを読んでもこれからも書くと思われます(2/14時点でようやくシドまで読みました!)ので色々と今後もお付き合いいただけますと嬉しいです。

お読みくださりありがとうございました!

2025.02.08 / 2025.02.14