――どういう組み合わせだろう。
笑みを貼り付けたまま、ジョシュアは様子を窺っていた。たいして広くもない医務室で世間話とも一味違うお喋りに興じている三人を傍観者の視点で見やる。
この部屋の主であるタルヤに、患者のひとりとして定期検診に来たというジル、そして患者の代理として薬を取りに来たらしいテランス卿。さらに、ジルと同じく患者扱いで未だに出頭を命じられている自分。タルヤを軸とした共通項はあるのだが、なんとなく興味深いというかなんというか、な面子に思えた。
「ルサージュ卿はまだ捕まったままなの?」
タルヤが組んだ腕を指先で叩きながらテランス卿に訊ねる。この場にルサージュ卿――ディオンが不在でテランス卿が代理で来ているということと、「ディオンが不良患者である」ということはイコールではないらしい。力説したのが彼の恋人であるテランス卿だったために半信半疑で聞き流そうと思ったジョシュアに、タルヤとジルのそれぞれが「テランス卿の言葉は八割で正しい」と言った。つまり二割は不良患者ということだ。そのことに関してディオン自身は否定も肯定もしないらしいが、『薬嫌いで逃げ回る以外は、王子様よりよっぽど更生したわよ? あの皇子様は』と聞き捨てならないことをタルヤが続けて言ったので、流石のジョシュアもこめかみがピキリとひくついたのだった。……だが、同じようなことをヨーテがはっきりと言明したことがあったために、敗者確定となったのは嫌な記憶として心奥深くに刻まれることだろう。
敗者復活戦はないものだろうか。そんなことも思ってみる。
「けれど」
タルヤが投げやり気味な溜息をついた。
「ここにルサージュ卿がわざわざ来ることになっているのは、クライヴやジルや王子様達と同じ診察のためなのに、まったく」
「タルヤ、僕のことはそろそろ名前で呼んでくれない……かな?」
口を挟んだジョシュアに、タルヤがギロリと睨む。
「不良患者番付筆頭には不要の発言は控えてもらいたいわね。……ともあれ、それにあわせてあのジジイ達ときたら示し合わせてやってきてルサージュ卿を口説きにかかってるでしょう」
ジジイ達。それは新・三国同盟の現トップ三人のことだ。ジョシュアの叔父にあたるロザリアの豪商バイロン・ロズフィールド、ダルメキアの軍師オイゲン・ハヴェル、ザンブレクの元司法官カンタン。いずれもがとんでもなくクセのある人物だが(オットー曰く『ハヴェル卿は……まあまだマシ』らしい)、三人は往々にしてディオンにちょっかいを出していた。やんわりと説得しているともいえる。
罪人として断頭台への道を真剣に思い描いていたディオンに、共に生きてほしいと求婚のようなことを言ったのはテランス卿のようだが、「使える若者が足りんこのときに戯言を言っている場合ではない」と一喝したのが件の三人だった。さらにザンブレクの首の賢人・オリフレム公も一枚噛んでいるとかいないとか。気がつけばすっかり「ディオン・ルサージュ包囲網」はできあがっていた。
さらに、自分の兄であるクライヴ・ロズフィールドが『大罪人と呼ばれているが、俺は俺なりにできることをこれからもやるつもりだ。自分の、意思で』と言った。その言葉――「自分の意思で」というところがどうやらディオンの心に刺さったらしい。彼はしばらく無言を貫いた後、小さく頷いた。
「うまくいくのかな」
ジョシュアは肩を竦めた。ディオンがそれでも望んでいるのは裏方であって、自らが旗を振ることではない。ヴァリスゼアは一様に困難な局面に陥ったが、立て直しに協力はしあうものの、それそれの枠組みは変えなくても変わってもどちらでもよいというのが三志士ならびに周囲の人々の考えだった。ザンブレクの再建はしようと思えばできる。ロザリアが、亡くなったはずのジョシュア・ロズフィールドを大公に立てて復興への道を歩み始めたように。
「どうでしょうね。ルサージュ卿は石頭なところがあるでしょう?」
「石頭……。まあ、否定できないね」
ジルの言葉にジョシュアは苦笑した。仲間意識は持っていたが顔見知り程度だったバハムートの元ドミナントは、今はもうすっかり親友だ。ゆえに、ディオンに対するジルの評価に納得してしまう。
ディオンは、相当頑固だと思う。我欲を最優先にさせるという意味ではない。無欲でもないが(勿論、最たるところはテランス卿だ)、いつまでも、何処までも、心持ちに変化が起きても、彼は自ら起こした凶事に囚われている。そのうえで生きるすべを模索し始めているが、どんなに説得しても「私は表舞台に出ることを望まない。世界が望まない」の一点張りだ。人の上に立つ才覚が際立っていることは分かっているだろうに、心を砕いて方々をまわって救済にあたっているくせに、三志士とオリフレム公が頭を突き合わせた末に旗頭として要請したのを彼は蹴った。「新しき世に相応しい者がその位置に立つべきだ」と言う彼の言にも理はあるのだが、「じゃあ、誰を」とカンタン卿が返すと、ディオンは黙した。そうして、「テランス以外なら」とここで我欲を爆発させたらしい。
居合わせた兄からその話を聞いたとき、ジョシュアは思わず大笑いした。勿論、ヴァリスゼア的には憂慮すべき状況だ。そして、ディオンの贖罪とヴァリスゼアの復興は釣り合う部分がある。テランス卿が代理として立ってもある程度は成り立つだろう。だが、友人として考えると、ディオンの感情は大変に好ましい。殴らずに済む。
横を見ると、テランス卿も苦笑いしていた。当然、心当たりがあるのだろう。それで苦労も散々したとは思うが、彼はディオンの未来を果たしてどう思っているのだろうか。
「やっぱり君はディオンの意思を尊重するのかい?」
ジョシュアの問いをテランス卿は予想していたらしい。彼は、「場合や事によりますね」と笑みを湛えながらも淡々と答えた。
「様々な事実や真実、心情が絡み合っています。ディオン……ディオン様が現況に臍を噛んでいて旗頭を受けようか悩んでおられるのも、それがヴァリスゼアに必ずしも良い影響を与えるかどうかは予想できないことも、どちらも事実です。以前の私はそんなディオン様のお考えをほぼすべて受け入れていましたが、今は違う」
「ディオン、でいいよ。君はそう呼ぶ権利があるだろう」
テランス卿に頷いてみせてから、ジョシュアはそう言った。瞬時にテランス卿の頬がぽほぼと赤くなっていく。こんなに分かりやすくていいんだろうか、と思いながら砂を吐きたい気分にジョシュアは駆られた。砂や石とは無縁でありたいから、あまり洒落にはならないが。
「ようやく呼び慣れたところなので、どうかご容赦を。……とはいえ、他の方に対して主人を敬称で呼ぶのはそれも何か違うのですけどね」
「難しく考えすぎ」
やってられない、と呆れ口調で言ったタルヤに、ジルが笑って「そうかしら?」返した。そのままテランス卿へ視線を移す。
「なんとなくだけど、テランスさんの気持ちは分かるわ」
ジルのやわらかな視線を受け、テランス卿が落ち着きを取り戻した表情で微笑んだ。そうして、どこぞの若者のように「ねーっ」とわざとらしく頷きあう。
――そうか、これが。
「ジルが言っていた「お仲間さん」はテランス卿?」
ディオンが、そして兄がこの光景を目の当たりにしたらどうなるだろうかと思いつつも、ジョシュアはジルに訊ねた。
愉しげに笑んで頷くジルは美しかった。兄は自分に向けられないこの笑顔にかなり驚きはするだろうが、二人の仲の良さに疑念は抱かないのではと思う。悋気は確実に起こしそうだが。他方のディオンは……どうだろう。案外思いつかない。
ジルが言うように、二人の間にあるのは「仲間意識」なのだ。
どのような「お仲間さん」なのかは推し量れる。かつて、自分の感情を殺して大切な人の意思を優先させた。自我というものを手放した。望まずに手放した際に突き刺さった棘は、なかなか抜けるものではない。かつて、自分が兄をぶん殴ったのもそれが原因だった。棚に上げている自覚はあったが、ジルを哀れに思うよりも兄の曖昧な傲慢さに腹が立った。
その後、二人の心は寄り添う機会を得たが……最後の決戦前の誓いは永久の別れでもあった。そうはさせない、と強く思ったことを覚えている。さらにディオンは「往路のみの旅路は私だけと決めていた」と後に言っていたが、彼は彼で恋人に自らの意思と多大な苦悩と絶望を押し付けていた。決戦前にそれを知る機会は得なかったが、知っていたらやはり殴っただろう。
ジルとテランス卿。理由はどうであれ、何よりも大切な相手に対して自分を殺した者。おそらく、そういうことだ。
――もっとも、僕に推量する資格はあるのかないのか……。
あまりないな、とジョシュアは「お仲間さん」同士の頷きに思った。彼らは同志でもある。自分はといえば、兄に対して幼い頃に燻っていた感情は今は隠していない。無数の棘を刺したのはむしろ自分で、兄がそのことにかなり苦しんでいたことは過去を話したがらないジルから聞きだした。
ヨーテはどうだろうか。……彼女のことを考えると、不思議と思考が停止する。
「私だけではないと知ったときに、少し心持ちが軽くなったのを覚えています。……彼と自分のみで構成された薄闇の世界に光が閃いた」
テランス卿が言った。
「そして、ジル殿の言葉にも救われました。「もう、待たない」と。「自分から手を伸ばす」と。私がそれを実践できたかというと大いに疑問がありますが、すとんと落ちるものがあったのです」
絶対に、もう、手を離さない。これ以上の何があっても。
言葉を刻んで結んだテランス卿に、ジルが「そうね」としみじみと呟いた。
「立ち竦んでいたあの日々は忘れない。これからも涙を零す日があると思う。……私にも、彼にも。でも、苦しい涙はもう「おしまい」なの」
そろそろ解散、とタルヤに追い出されたので、ジョシュアは薬が入った籠を抱えたテランス卿と共に医務室を出た。ジルはこれから診察を受けるらしい。
「もしかして……」
その「可能性」があってもおかしくないかと思いながらジョシュアは呟き、医務室の扉を眺めた。
「もしかするかもしれませんね」
ジョシュアの言葉を拾ったテランス卿が言う。彼が返してくるとは思っていなかったが、それもまた違うだろうとジョシュアは自らの考えをすぐさま改めた。ディオンほどよく話す仲でもないが、テランス卿が敏いことは分かる。……彼の恋人よりよほど。
とりあえず、今のところは部外者だ。あれこれ推測しても始まらない。頭の中でそう結論づけたジョシュアに、丁度よくテランス卿が「では、私はこれで」と礼をとった。
――まったく、こっちはこっちで。
背を向けてその場を離れかけたテランス卿の襟首を、ぐい、とジョシュアは掴んだ。だいぶ油断していたのだろう、想定外の成り行きにテランス卿がたたらを踏む。振り返りざまに驚きの表情で見てきた彼に、ジョシュアはにっこり笑んだ。
「ディオンはまだ捕まってそうだし、その間は暇だろう? 話を聞かせてくれないかな」
「え……」
固まったテランス卿にジョシュアは畳み掛ける。
「なんでもいいよ。「これから」のディオンは僕の大切な親友だけど、「これまで」の彼とは撚りが解けかかった糸でしか繋がっていなかった。まあ、知らなくても良いのかもしれないけれどね。でも、彼がどんな人間なのか、君の口から聞きたいと思うんだ」
「……。それは、「ディオン・ルサージュ」という一人の「人間」の話を聞きたいという意味ですか?」
ジョシュアの手をそっと退かせて向き直ると、眉根を寄せてテランス卿は言った。真顔だった。
ああ、とジョシュアは思い当たった。ニュアンスは少し違うが、「人間であること」を望んでいた人がいた。縋っていたとも、そうではないことを認めたくなかったともいえる。苦しみから生まれた兄の問いを、自分は否定した。――ドミナントであって、人間ではないのだと。
「勿論?」
語尾を上げてジョシュアは言った。さて、これをテランス卿はどう受け止めるだろうか。
推測するのもばかばかしいくらいに、今のテランス卿はディオンという存在を丸ごと愛している。兄との雑談中に「基本的には元々ああでした」と聖竜騎士団の元団員が感慨深げに言ったそうだが、「基本的に?」と兄が訊き返すと、元団員は「今は少し厳しくなりましたね」と笑ったのだとか。先程テランス卿自身が「すべて受け入れていた」と言っていたが、それに通じるものがある。
そんな彼が語るディオン像には元々興味があった。ディオンだけではない、「自分の存在が許されなかった」世界のことを知りたかった。眠り、隠れ、逃げ続けて過ぎていった時間のことを。
それなのに。
「申し訳ありませんが、お断りします」
表情を変えずにテランス卿は言った。見据えるさまは僅かに怒気さえ感じ、ジョシュアは面食らった。
――何か変なことを言っただろうか?
テランス卿の拒否はジョシュアにとって想定外だった。拒むかもしれないが、こんな表情をしてくるとは思わなかった。考えてみても、明確な解は出てこない。だが、ここで熟考している間にテランス卿は去ってしまうと思ったので、直接訊いてみることにした。
「何故?」
目を眇め、ジョシュアはテランス卿を見つめた。
「彼は……」
テランス卿はすぐに言葉を切った。話すべき相手か否か計りかねているのだろう。ジョシュアが目線で先を促すと、テランス卿は瞑目の後に深く息を吐いた。
「彼は、ディオンは、「人間」です。間違いなく。……ですが、その括りだけでは彼の話は収まらない。かつても、今も」
「……なるほどね」
ジョシュアは得心した。分かっていたつもりだったが、テランス卿のディオンに対する想いは真だった。
「人間であることも、ドミナント――獣だったことも、モノであったことも、他にも様々あっただろうすべての事象が、彼を形成した。それはけして切り離せない事実だ」
ジョシュアの言葉に、テランス卿は小さく頷いて繋げた。
「やり直せるなら切り離してしまいたい、耐え難かった出来事も多くあります。そんな苦難がなくとも、彼は彼だったでしょう。……ですが、過去は過去。時は返らず、先に進んでいく。「人間」に収斂した彼も、そして私も、先に進むと決めました。共に足搔いて生きていく」
言い切ったテランス卿の表情がようやく和らぐ。ジョシュアは自分が思ったよりも緊張していたことに気が付いた。内心で苦笑し、「そうだね」とテランス卿に返した。
「じゃあ、その決意をさらに詳しく聞こうかな。ますます興味深くなってきたから」
戻らない時間とは別に、話は容易に戻せる。胡散臭いと自身でも分かっている笑みをジョシュアは貼り付け、嫌そうな顔をしたテランス卿の肩を叩いた。
§ §
「やー……」
あれから一刻後。奥まったラウンジの卓に置かれた数本の酒瓶を眺めながら、ジョシュアはぼんやりと唸った。
テランス――敬語と敬称を外すように言ったジョシュアに対して、彼もまた「卿」を付けるのを拒んだ――は今しがた帰っていった。どれだけ酔ったのかは分からないが、礼をとってから席を立ったところを見ると、それなりに酔っていたのだと思う。その証拠に、彼を見つけたディオンが驚いた様子で『まさか、酔ったのか?』と訊いていた。『酔っていませんよ』と取ったはずの敬語を付けて、恋人に抱きついていたのを思い出すと、それなりにどころではなくて完璧に彼はべろべろに酔ったはずだ。
なにせ、この酒瓶の九割はテランスが空けたのだから。
酔わなければ話せない、といった雰囲気ではなかった。ただ、ディオンへの説教を終えたのか、通りがかったカンタン卿が「新酒だ」と置いていったワインを乾杯がわりに開けたのがよくなかった。酒を積極的には嗜まないジョシュアでも分かるくらいに美味だった。カンタン卿の突然の贈答品に何故か苦笑していたテランスも、その味に目を瞠っていた。
そうして、彼は語った。ディオン・ルサージュのことを、ときに熱っぽく、ときに苦しげに、そして何よりも真摯に。テランスが語るディオンは、装飾がなかった。ディオンへの想いは満ち溢れていたが、彼を崇めているふうではなかった。
それは、ディオンにとって救いのひとつだろう。ジョシュアは倒れている酒瓶を元に戻しながら思った。
もっとも、テランスによるディオンの話が暗さを増す前にジョシュアは彼を止めた。それこそ、自分が素面のときに聞くべき話だと思ったのだった。ザンブレクの英雄とも謳われたディオンが辿っていた道行きを、自分はロザリアの長として、ロズフィールドの人間として知る必要がある。
一方、今でないと聞けない話もあった。
『惚気話とか猥談とか、色々聞きたいな』
そう言ってのけたジョシュアにテランスはまたしても固まったが、いくつかのエピソードをごにょごにょとワインを飲みながら披露してくれた。ほうほう、と頷きつつも雲行きが怪しくなってきたので、これも止めたが。
心臓に悪かった。比喩として。
思えば、同世代の男なんてこれまで殆ど接触がなかった。まともな人付き合いもしていないから、感情の機微に偏りがあることは自覚している。ヨーテがずっと傍にいたが、彼女は……。
どうしても、思考が停止する。霧に包まれる。霧を呼んでいるのは、いったい誰だろう。
それは、分からない。否、分からないふりをしている。
まだまだ未熟だ、とジョシュアはひとり笑った。