居酒屋変奏曲

 よいせ、と鍋に沈む具をひっくり返す。澄んだスープには様々な具材が泳いでいるが、渾然となっているわけではない。きちんと並べられて「泳いでいる」さまは、これを用意した人間の性格が出ているのかもしれなかった。もっとも、それほど親しいわけではないから実際のところはよく分からないが。
「半分は当たり、半分はハズレってところだね」
「そうなのか?」
 鍋を覗き見ながら答えたカローンに、ルボルは訊き返した。
 ラウンジでのんびりしていたルボルが、「鍋を少し見ていて」とパブの主人であるメイヴに言われたのは半刻ほど前。モリーと食材調達の相談をするのだ、と彼女はカウンターを出ていってしまったので、仕方なしにルボルはカウンター内に入った。
 メイヴは出掛けに鍋の中身と扱い方をざっと説明してくれた。それによると、この鍋料理の名前は「おでん」。その名を聞いたヴァリスゼアに住まう多くの者はかの召喚獣を思い出すのだろうし、ルボルもそのひとりではあったが、「オーディン」とは何のゆかりもないらしい。外大陸に由来する料理なのだ、とメイヴは言った。
 鍋の中にごろごろ転がっている具材も外大陸原産のものが多い。勿論、そのまま運んでくることは困難だから、ここらへんで採れた作物をどうにか加工してそれっぽく作ったとのこと。そんなわけで、実際には「おでんもどき」なのだった。
「具を選んで取り分けるから、ごちゃ混ぜに入れたら後々面倒なのさ。味に影響もするしね」
「詳しいな、ばあさん」
 慣れぬカトラリーを操りながら、ルボルは素直に感嘆した。「箸」という名前のこのカトラリーも外大陸に由縁がある。外大陸のさらに東の外れにある国……つまりはヴァリスゼアから見たら夢物語にも近しい存在なのだが、そんなところから流れに流れてこの地まで辿り着いた。
 不思議だな、とルボルは思う。同時に、ヴァリスゼアの様々な文化や慣習なんかも「外」に伝わっているのかもしれないと思うと、何故か心が跳ねるような思いになった。
「外大陸には縁があるからね。……何をしているんだい」
 カローンは口の端を上げたが、ルボルの苦戦ぶりにすぐに呆れ顔になった。
「逃げるんだよ、こいつ。刺しちゃダメかな」
「ダメに決まってるだろう。ああ、見ちゃいられないね」
 つるりと箸から逃げる具材を追いかけ続けていたルボルから箸を奪い、カローンが言う。カウンターに入ると、彼女は鍋の具材を上手に並べていった。
「おお、すげえ」
 てきぱきと箸を動かすカローンに賛辞を送りつつ、具材を動かしたことで漂ったスープの美味しそうな匂いに、ルボルは顔を綻ばせた。

§  §

 それからしばらくして。
「珍妙な具ばかりだな……」
 メニューというよりどちらかというと具材の説明書きを眺めながらバイロン・ロズフィールド卿は呟いた。
「ジイさん、アンタでもそう思うのか?」
「儂でも、とは何だ」
 思わず訊いてしまったルボルに、ロズフィールド卿が胡乱な視線を向ける。
「いや、何でも知ってそうだからな、ジイさん。意外だと思って」
 取り繕うとますます不機嫌になるだろうことは、短くもなければ長くもない付き合いで知っている。思ったことをルボルがそのまま言うと、ロズフィールド卿は「儂とて知らんことはある」と深々と息を吐いた。
「そっか」
 相槌を打ち、ルボルは鍋の具材を眺め見た。箸はどうにか扱えるようになったのだが、それでも具材を壊してしまうことも多かったので、今はレードルを手にしている。
「で、どうする?」
「……そうさな、たまご、芋……」
「はいよ」
 ルボルは小皿を取ると、ロズフィールド卿が指し示した具材を皿に入れていく。
「あとは? もっと食べるだろ?」
「いや、そんなところでよい」
 説明書きを卓に置き、ロズフィールド卿はルボルから皿を受け取った。
「わりと保守的なのな」
 たまごも芋も、味が予想できる。こういった料理は冒険してこそなのでは、ルボルはそう思ったが、ロズフィールド卿は首を横に振って笑みを見せた。
「そういうのは若人に任せる、と決めたからな」
「はあ」
 ロズフィールド卿の多少芝居がかった笑みにも適当に相槌を打ったルボルだったが、カウンターに歩み寄ってきた人物のほうへ顔を向けた。
「こいつのこれは単に好き嫌いだ」
 ダルメキアの元将軍は「こいつ」ことロズフィールド卿を親指で指すと、どっかとその隣に座った。嫌そうにロズフィールド卿が「ハヴェル」と顔をしかめるのにも意に介さない。
「え、そうなのか?」
「違う。ハヴェルよ、いい加減なことを言うな」
 ルボルに問われたロズフィールド卿が即座に否定する。そうだよな、とその応えにルボルは内心で頷いた。ダリミルでの様子を思い返すに、そういった悪癖はなさそうに思えた。
「想像もできぬものを無理に口にして、仮に失敗したとする。そうすれば、食材は無駄になってしまうであろう?」
 どこか誇らしげにロズフィールド卿が持論を語る。はあ、とルボルは気の抜けた相槌を三度返したが、ハヴェル卿は鼻で笑った。
「随分と弱気になったものだな」
「慎重さを増した、と言え」
「どうだか?」
 放っておけば延々とこのやり取りは続くんだろうな、とルボルは思う。隠れ家界隈ではすっかりと名物になっているらしいお偉方の「口喧嘩」だ。
 そう、二人は相当に「偉い」のだった。なにせ、ヴァリスゼアの今を取り仕切っているのだから。より正確にいえば、「取り仕切っている三人の内の二人」なのだが。
 新しい世界に再び結ばれた絆――三国同盟の志士達。ダルメキア、ザンブレク、ロザリア……国の形は失われ、これからはどうなるか分からない。世界の理が変わってしまった今、一歩先は闇であり、奈落であり、底なしの沼でもあった。月明かりのほのかな光と手にしたカンテラの灯火で照らされた飛び石をどうにか探り、残された者は進んでいく。魔法もクリスタルの力も消え失せてしまった、そんな世界を。
 まっさらなところから始めたら。ほんの少し前にロズフィールド卿が語った。そのほうが良き世を築けるのであろう。だが、しかし。
 言葉を切ったロズフィールド卿の表情は落ち着いていたが、統べる者の雰囲気を纏わせていた。いつもの茶目っ気と愛嬌がある彼とは違った趣で、ルボルは少し驚いた。
 ロズフィールド卿は続けた。――人の命は短い。そして、これ以上の苦難には耐えきれぬ。国を捨て、地を捨て、己のよすがを捨て、そうして新たな世界を作り上げる前に心も身も折れ、すべてが滅びる。故に、これまで築いてきた「枠組み」は必要になる……しがらみともいえるが、絆は何よりも大切なのだ、と。
 これまでとこれから。変わらないもの、変えられないもの、変えたいもの、変わるもの、変わってしまったもの。それらを取捨選択し、生き延びるために手を伸ばす。
 そうした果てのない旅路にこそ、絆は。
 ロズフィールド卿の言葉は、ルボルの心にすんなりと溶けた。それは、この「新しい世界」に至るまでの経緯を断片的にでも知っていたからかもしれない。何も知らなければ、禍つ空に浮かぶ黒光の塊を目の当たりにした時点でこの世の終わりを感じただろう。そうして諦念のままに石礫を受け、隔てられた壁に絶望し、やがて戻った青の空を見ることはなかった。
 けれど、実際は違う。自分はこうして生きていて、未だ続く大混乱の只中に立っている。闇夜の世界に浮かぶ、かすかな光を感じている。
 自分の役目はこの光を守り抜くこと――、ルボルはそう理解していた。それは、自らの意思でもあったし、他者からの期待と願いでもあった。次を往く者としての使命なのだと。
「重荷ではないか?」
「え?」
 丁々発止のやり取りを眺めていたはずが、いつの間にかぼうっとしていたらしい。ハヴェル卿の低い声色にルボルは我に返った。見れば、ハヴェル卿のみならずロズフィールド卿も自分を見やっている。
「儂等がお前の肩に乗せようとしているものは、けして軽いものではない。否、途方もなく重い」
 ルボルの様子に何かを察したのか、目を細めてロズフィールド卿が言った。
「……そう、だな」
 ルボルはその言葉に頷いた。うまい相槌を打とうとしたのだが、その前に首が縦に振れてしまった。
 次を歩く者、未来を見る者、多くの命を預かり、さらにその次へ導く者。そうした役割を彼らは自分に課そうとしている。けして強いるわけではなかったが、促されて今に至っているのも事実だ。故郷の長という責務だけでも惑うことの多い雛なのに、いったい何を考えているんだと思わないでもなかった。他にも適任がいそうなものじゃないか、とも。
 現に、彼らにもそう尋ねたのだ。すると、彼らは顔を見合わせ、次いで得心したような顔つきでもって「それはそうだが」と答えた。
 やっぱり、とルボルはその答に思った。考えるまでもない、この隠れ家の主であるクライヴを筆頭に「上に立つべき者」の候補はすぐに何人か思いつく。何もこんな小僧でなくとも、もっと優れた人物がいるだろう。
 だが、とあのとき続けたのはロズフィールド卿だった。次を歩く者は、お前なのだと。先の未来を、切り開く者は。
「重い、といえばそりゃ重いさ」
 卓に置かれた説明書きをルボルは取り、ハヴェル卿に渡した。レードルを置き、傍らにあった箸を手にする。
「……ルボル」
「けれど」
 心配そうにこちらを見る彼らを見つめ、ルボルは笑った。
「俺は独りじゃない。ジイさん達は世話焼きだし、手を引いてくれる人達だっている。背中を支えてくれる人も。それに、先を歩くのは俺だけじゃないって分かってる」
 だから大丈夫、たぶん。そう言ったルボルに、彼らもまた小さく笑んだ。
「傍から見てたらかなり危なっかしいだろうけどさ。ところで、何にする?」
「ん? ……ああ」
 箸をカチリと鳴らし、ルボルはハヴェル卿に問うた。行儀が悪いぞ、とすぐさまロズフィールド卿が咎めてきたが、どこ吹く風を決め込む。言われたままになるのは性に合わないのだ。
 一方で、横目でロズフィールド卿の皿を見やり、そうしてまた説明書きを眺めること数度、しびれを切らしそうになったルボルが「まだ?」と催促する一歩手前でハヴェル卿は口を開いた。
「……たまごと芋で」
「なんだ、同じではないか!」
 ハヴェル卿の注文にルボルが目を丸くするよりも先に、ロズフィールド卿が怒鳴る。仕方ないだろう!とハヴェル卿が怒鳴り返し、そうこうするうちに二人の掛け合いは再び始まってしまった。
「やれやれ、まったく」
 頬が緩みそうになるのを誤魔化して肩を竦め、ルボルはたまごと芋を皿に取った。

§  §

 さらにそれからしばらくして――。
 新たにやってきた客用に小皿を二枚用意しながら、ルボルは辺りを見回した。おでんを託して場を離れてしまったメイヴの帰りはいつになるのか分からず、そんなわけでルボルは未だにカウンター内で鍋を守っていた。
 自分も客人のはずなんだけどな? 内心ではそう思ったりもするが、口には出さない。隠れ家を訪れたことはそれほどないから馴染みは薄いが、ここの人々の懐はそんな自分にも深かった。ルボルの素性を知ると、「シドが世話になったな」と住民の大半は笑顔を見せて礼を言ってきたし、それからは旧知の仲のように話しかけてくるようになった。隠れ家のあれやこれやは自分にとって知らないことばかりで、訪れるたびに刺激を受ける。そして、屈託なく話せる相手も増えた。――もうひとつの故郷、とまではいかないが、大切な居場所になっていると思う。
 だから、鍋を守るなどということはお安い御用なのだったが。
「ふむ?」
 噂を聞いて来てみたという目の前の客は、説明書きを読みながら小首を傾げた。興味深い、とそう呟くと、隣に座るもうひとりの客に説明書きを渡す。
「決まったかい?」
「少しお待ちください。ディオン様は何を?」
 頃合いと見て注文を聞こうとしたルボルを「もうひとりの客」が制した。そうして最初に説明書きを渡したほうの客――ディオン・ルサージュに彼は訊ねる。
 ああ、とルサージュ卿は頷くと、傾けられた説明書きのあちらこちらを指差した。
「がんもどきと、ダイコン、そんで牛すじか。了解」
「よろしく頼む」
 ルサージュ卿が指し示した具材をルボルは鍋から掬い上げる。箸の扱いにも慣れてきたし、注文の具材は難敵ではなかった。たまごと、アレ以外はなんとかなる。
「たまごは……」
「残念、売り切れ。なんかみんなして好きだな、たまご?」
 ルサージュ卿の言葉の先を読んでそう言ったルボルに、もうひとりの客が笑う。無難ですからね、と続けた彼にルボルは向き直った。
「テランス、あんたは?」
 具を載せた皿をルサージュ卿に渡しながらルボルは、もうひとりの客であるところのテランスに訊ねた。
「そうですね……」
「……「テランス」?」
 説明書きを見入るテランスの横で、ルサージュ卿が呟く。その声色がなにやら冷えたような気がして、ルボルは目を瞬かせた。
「ん? どうしたんだい、ルサージュ卿?」
「いや、なんでもない」
 そう言って緩やかに首を横に振ったルサージュ卿だったが、本当は違うのだろうとルボルは直感した。なんでもない、という言葉のその内実が「なんでもなくない」のは分かりきったことだ。
 さて、自分は何かしただろうか。そう思いながらルボルが彼らとの直近の会話を思い返していると、ルサージュ卿の背をテランスが軽く撫でて何事かを囁いた。
 ――そういうことか?
 ささやかに過ぎる割に甘さもたっぷり感じられるそのやり取りに、ルボルは額に手を当てた。なんともまあ、と意味もなく呟いてしまう。
 ルサージュ卿は相当な人格者だということは前々から聞いていた。皇子様だったからかな、などと漠然と思っていたが、最近になって何度か直接話す機会を得て、噂は真実だったとすぐに知った。人の上に立つ者としてルサージュ卿は理想的な存在だったし、今まで彼のもとで動いてきた者達が心酔するのも分かるような気がした。
 前にハヴェル卿も言っていた。「敵対すれば聖竜騎士団が一番厄介だった、あの士気の高さは異常だからな」。尊きバハムートに自らの忠誠を誓ったのではない、彼らは「ディオン・ルサージュ」に忠誠を誓ったのだと。
 聖人君子のように評される彼に、苦手意識を感じていたこともあった。自分とは真逆のようにも思ったし、彼を参考にすることも真似することも無理だと思った。もっとも、そんなことは誰も言わなかったが。
 しかし、目の前のルサージュ卿は、そういった「聖人君子」ではなかった。統べる者が纏う雰囲気はそのままだが、普通の青年のようにも感じられた。そう、恋人の名を他人に呼び捨てにされて悋気を起こすような、どこにでもいる人間に。
 ――だから、だな。
 ルボルはそう思っている。其方の背を支えよう、と真摯に言った彼に頷くことができたのは、それだからこそ。
「あんた達、面白いな」
「?」
 にやにや笑いが止まらなくなったルボルに、ルサージュ卿が不思議そうな顔をし、テランスがその隣で微笑んだ。本当に、面白い。
 その後、テランスは「こんにゃく、餅巾着、昆布」を選んだ。聞いたことも見たこともないものを二人とも選んできたので、ロズフィールド卿の「そういったのは若人に任せる」という言葉を思い出してこっそり笑った。
 つるつると滑って掴めないこんにゃく――たまごと並んで扱うのが難しいアレ――に箸を操るのは諦め、再びレードルを手にする。スープと共に掬って皿に供し、ルボルはテランスに渡した。
「なかなかの冒険好きだな」
 ルボルの言葉に笑みを見せたのは、ルサージュ卿だった。「今ではこういった「冒険」もできるようになった」と言いながら箸を持つ。使ったことがあるのだろうか、透き通ったダイコンに美しく箸を入れると、彼は切り分けた欠片を口に入れた。
「どう?」
 咀嚼し、飲み込むまでしばし待つ。ほ、と溜息のような息を吐いてからルサージュ卿はルボルの問いに頷いた。
「具もスープも薄味だが、滋味深さを感じる」
「旨かった?」
 ルボルが続けて問うと、ルサージュ卿は再び頷いた。
「そうだな。だが……」
「だが?」
「どうされましたか?」
 頷いた後に逡巡する素振りを見せたルサージュ卿に、ルボルは問い返し、テランスも隣に座る主に向き直った。
 いや、とルサージュ卿が呟く。たいしたことではないが、と先ほどと同じような物言いをしながら彼は卓上に視線を走らせた。何かを探しているらしい。
「ルボル殿、水はありますか?」
 ルサージュ卿の内心を読んだのか、テランスがルボルに訊ねた。
「え? ああ、あるはず」
 請われるがままに酒器を取り出し、汲み置きの清浄な水を注ぐ。どちらに渡すべきか一瞬迷いそうになったが、先に手を伸ばしたテランスにルボルは水入りの酒器を委ねた。
「ありがとうございます。――ディオン様」
 礼を言って酒器を受け取ったテランスは、ルサージュ卿にそれを手渡した。
「あれ、もしかして」
 もの言いたげな視線をテランスと交わした後に酒器を傾けたルサージュ卿に、ルボルは思い当たるふしがあった。
「舌、やけどしたのか?」
 確信めいた思いでルボルが問いを繰り出すと、ルサージュ卿は首肯した。ほんの少し、とそう言ってまた水を口に含む。
「あー、ずっと鍋ん中だったからな……大丈夫?」
「問題ない」
「それなら、よかった。――あ」
 ルサージュ卿の言葉を信じることにしたルボルは、何とはなしにルサージュ卿からテランスへ視線を転じた。自然な動作で主から酒器を受け取って卓に置いたテランスがまたルサージュ卿に何か言っている。
 二人の距離は、先ほどよりも僅かに近かった。
「あやしげなことはするなよ?」
 その近さにも思い当たるふしがあって、ルボルは二人に釘を刺した。ナターリエが読んでいるという恋物語なんかではよくあるらしいパターンを目の前で繰り広げられたなら、身の置き場がない。
 言葉の意味を正確に読み取ったらしい二人は苦笑で返した。「しませんよ」とテランスが言い、「させんよ」とルサージュ卿が肩を竦める。「それでよろしい」と鷹揚にルボルが頷いてみせると、二人は声を上げて笑った。
「おう、盛り上がってるな」
「カンタン卿」
 ルボルが視線を転じるよりも先に、ルサージュ卿とテランスが声の主を振り返る。二人がそれぞれとった略礼に応じたカンタン卿は、ルボルにも「よう」と素っ気ない挨拶をしてよこした。
「やあ、カンタン」
 志士の三人目は、笑顔で返したルボルに酒瓶を突きつけてきた。何?と思う間もなくボトルを受け取ったルボルはラベルを見たが、そこに書かれてあるのは数字だけだった。
「ロストウィングの新酒だ」
 端的といえば聞こえはいいが、常のようにつっけんどんにカンタン卿は言った。
「え」
 そんなカンタン卿の言葉にルボルは固まった。確かに、数字は「今年」を表している。
 ――と、いうことは。
「ああ、ついにできたのだな」
「まあな」
 エーテル溜まりに沈んだロストウィング。かつては優れたワインの産地であった村を纏め上げていた男は、ルサージュ卿の言葉に眉を上げた。そうすると、少し嬉しそうにも見える。
「ルサージュ卿、助力に感謝する。おかげで、思ったよりも早く再興できそうだ」
 謝意を告げたカンタン卿に、ルサージュ卿が微笑んで頷く。その様子に、ルボルは「だったら」と割り込んだ。
「カンタン、渡す相手間違えてないか? 俺じゃなくて、ルサージュ卿に渡すんだろう?」
 ロストウィングの再興にルサージュ卿が手を貸していたなら、このワインはその礼に違いない。自分ではなく、ルサージュ卿に渡すべきなのは自明だ。
 カンタン卿はルボルを見やると、「それも考えていたが」とシニカルな笑みを浮かべた。
「それなりのものはできたんだが、ロストウィング――ゴールトンルージュを名乗るには今一歩の出来だった。まあ、あの状況を考えると上等なんだがな」
 禍つ空、まだらの雲。陽は隠れ、光は届かず、ゆらりと揺れるエーテルの青ばかりが不気味なほどに綺麗だったあの頃。生き残ったベアラー達と共に葡萄畑を見つめた。
 後に青の空が戻り、陽はその高みに再び昇った。枯れそうだった枝は息を吹き返し、葉は生い茂り、そうしてたわわに実った房を幾つも籠へと放り込むことができた。収穫の喜びをこれほど感じたことはなかった、カンタン卿はそう言った。
「ルサージュ卿には俺達が納得いったヤツを後で贈らせてもらう。来年か再来年か……いつになるかは分からんが、必ず」
「楽しみに待っていよう」
 ルサージュ卿との会話を終えたカンタン卿は、だから、とルボルを見やった。
「コイツは味見用にと持ってきたんだが、ロズフィールド卿達に話を聞いてみたらちょうど良さそうだと思ってな。飲んでみてくれ」
 辛口の白だ、カンタン卿はそう付け加えると、隠しから小刀を取り出した。ルボルが栓を抜けないと見越したらしい。
「俺もいいよな?」
 酒器を取り出しながら訊ねたルボルに、大人三名は「少しなら」と口を揃えた。


 カンタン卿が持ち込んだ新酒は、思ったよりもずっと美味だった。
 辛口ということだったが、そのぶん舌に纏わりつくような具合にはならない。すいすいと軽やかに飲めた。
「ルボル殿、そのあたりで。ディオン様、貴方もです」
 中身が空になったのを見計らってテランスがルボルの酒器を奪う。続けざまに彼はルサージュ卿の酒器も素早く奪い、卓の端へと遠ざけた。
 もっと飲みたかったのに、とも思ったが、その一方でルボルはテランスの早業に妙に感心していた。おそらくこの流れは常から行われているに違いない。その証拠に、ルサージュ卿は僅かばかりに不服そうな顔でテランスを眺めたが、それだけだった。
 ――まったくもって、面白い。
 同じことを感じたのか、カンタン卿もまた喉の奥で笑っていた。こちらに視線を投げ、肩を揺らす。
「そうだ、カンタンも何か食べる?」
 皿を取り出そうとしたルボルに、「嬉しい誘いだが」とカンタン卿は首を横に振った。なんでも、まだやることがあるらしい。
「ご苦労様だなあ」
「まったくだ」
 ルボルが言うと、カンタン卿はわざとらしく溜息をつき、次いでニヤリと笑んだ。
「カンタン卿、後ほど話をしたいのだが」
「ああ、こちらも調査書を渡そうと思っていたところだ。……しかしルサージュ卿、随分と面白いものを選んだな?」
 返事をしながらルサージュ卿の皿にカンタン卿が目を留める。ほほう、と顎を撫でる仕草もこれまた芝居がかっていた。
「面白いもの?」
 首を傾げ、ルサージュ卿が自らの皿を眺める。ルボルもテランスも同じく彼の皿を見た。
 皿には、ダイコンが半分と、がんもどきと、牛すじ。――話したり飲んだりしている間に、少し冷めてしまったかもしれない。
 カンタン卿はがんもどきを指差した。
「これの名前は?」
「……がんもどき、というのだろう? 何に似せたのかはよく分からないが」
 説明書きを読んだルサージュ卿にカンタン卿は頷いたが、「別名がある」と続けた。
「別名?」
「飛龍頭、という。外大陸のどこかの国の言葉が転じたらしいが……知らないで選んだのなら、流石だとしか言いようがないな?」
「……は?」
 呆気にとられたルサージュ卿の様子を見て、クク、とカンタン卿は笑った。
「え、なに、そうしたら共食い?」
「ルボル殿、それは……」
 身を乗り出して言ったルボルに、テランスが困ったように肩を下げる。「そういうことになるな」とカンタン卿はついに高らかに笑い、ルサージュ卿の肩をバシンと叩いたのだった。

§  §

 さらにさらにそれからしばらくして――夜半。
 予定の時間をかなり押して戻ってきたメイヴは、おでんの売れ行きに目を瞠っていた。具のほとんどは売り切れ、鍋の底にはスープといくつかの具材があるだけ。「これはまた出してもいいかもね」と声を弾ませた彼女は、「じゃああとはよろしく」と後片付けをルボルに命じて下がっていった。
「なんで?」
 鍋の中身をすべて皿に移し、ルボルは卓に置いた。店じまい寸前にやって来たクライヴの隣に座り、はあ、と溜息をつく。
「……さあ、な?」
 こちらの疑問に答えようとしてくれたのか、クライヴは目線を彷徨わせていたが、やがて曖昧に首を傾げただけだった。
「こういったこともある」
「あるのか……」
 疲れた、とルボルはぼやくと、箸を手にした。つるつると滑るこんにゃくを刺し、口に運ぶ。弾力がありすぎて噛み切れないんじゃないかと思いながらもどうにか噛み切り、もぐもぐごくんと飲み込んだ。
「なんだこりゃ」
 不思議すぎる食感と味わいはけして悪いものではない。だが、積極的にまた食べたいかといえば、ちょっとそれはないなとルボルは思った。腹は膨れるだろうから非常時に用意するぶんには良いかもしれないが。
 そんな感想をクライヴに言うと、「どうだろう」と彼は言った。
「これを作るにはかなり面倒な工程があるらしい。そこまでして、と思うくらいなのだとか」
「へえ……すごいな、それも」
「そうだな」
 ルボルの相槌にクライヴが穏やかに微笑む。カンタン卿が持ってきたワインの残りを飲み干すと、彼は「ルボル」と呼びかけた。
「ん?」
 クライヴの声色が僅かに沈んだようにも思えて、ルボルは彼を見た。
 彼はこちらに視線を置かずに、手元の酒器を見つめていた。空になった酒器を弄び、頬杖をつく。
「……夢を見ているような気はしないか」
「夢? 寝てるときに見ている、あの?」
 言葉の意図を飲み込めずに訊き返したルボルに、クライヴは頷いた。
「そう、夢だ。時々、そう思う」
 クライヴは訥々と語った。本当は、と。
 大事な弟は死に、愛する人と永久に別れ、人々は自我を失い、木偶になる。神が望む世界こそが「現実」ではないかと。
「こんにゃく食べてる今この瞬間も、夢じゃないかって?」
「そうだ」
 戯けて言ったルボルの真意を汲み取ってクライヴがちらりと笑う。だが、その笑みには闇夜を感じた。
「どうだろうな。……まあ、もしそうだとしたら」
 怖いか? 訊ねたルボルに、クライヴは素直に頷いた。
「ああ、怖い。すべてが夢まぼろしだったならと考えると、時々叫び出したくなる」
「それは……ううん」
 彼のこの本音を聞くべきは本当に自分なのだろうか、とルボルはふと思った。その場の流れで聞いてはいるが、そもそも聞いてしまっても良いのだろうか。心の一番やわらかいところを覗き込んでしまっても?
「いいんだ」
 クライヴはそんなルボルに笑った。皆には話せないから、と。
「……そっか」
 なんとなく分かるかも、とルボルは思う。近しすぎる人にこそ話せないことは、侭ある。クライヴのような性格だとその傾向は強いかもしれない。
 なんでも抱え込んでしまう、と苦笑いをしていたのは誰だったろうか。
「夢、だとしてもさ」
 ルボルはクライヴに語りかけた。彼は自分の言葉なんか必要ではないかもしれない。否、自分だけではなくて、誰の言葉も彼の心の奥底にまでは届かないのかもしれない。
 それでもいい、と思う。
「……今を生きてるっていう感覚は、現実なんだと思う。本当の現実で誰かが嘲笑っていても、そいつができることはそれだけだ」
 たとえ、それが「神」であっても。
「俺はここにいる。このヴァリスゼアで、これからを生きる。皆と一緒に」
「ルボル……」
 寄る辺ない子のようなまなざしをクライヴから向けられ、ルボルは笑った。これではいったいどちらが年長なのか分からない。
「もちろんクライヴ、あんたも一緒だ。ぜーんぶ俺に背負わせる気だろうが、そうはいかないからな?」
 ルボルの言葉に、クライヴが目を瞬かせる。戸惑う表情ばかりだった彼は、やがて僅かに笑んだ。
「分かった」
「それでよし」
 手を伸ばすと、ルボルはクライヴの整えられていない髪をぐしゃぐしゃにかき回した。おい、と笑み含みで咎められたので、面白くなってさらにかき回す。
「な、そろそろ髪切ったら?」
「……来月の婚礼で整えようかと」
「それじゃ、あんまりにも無精だろ」
 クライヴの答に溜息をついてルボルは立ち上がった。背に二人分の視線を感じる。きっとクライヴも気付いているのだろうが、彼はまだ動かない。
 空になった皿と酒器を手にしてカウンターへ入る。片付けろと言われてもなあと思いつつも鍋の中に食器類を突っ込み、それから戸口の人影に片目を瞑ってみせた。
 二人もルボルに頷き返す。共に、笑みを浮かべて。
「じゃあ、クライヴ。あと頼んだわ」
「え?」
 片付け前の鍋を指し、ルボルはカウンターを出た。クライヴの視線が追ってくるが、頓着はしない。お先、と振った後ろ手のままで戸口に立つと、彼らもまた片手をそれぞれ挙げた。
 パチン、パチン。手を打ち鳴らす。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 かけられた言葉のあたたかさが自分のなかに沁み込む。その不思議な感覚にルボルは笑い、その場を後にしたのだった。

あとがき

店番を任せられる?ルボルのお話。「ルボルの居酒屋話が書きたい!おでん屋さん!」と前々からX(Twitter)で呟いていたのですが、公開時に「本当におでんだった!」と驚かれました。オーディンに非ず。余談ですが、BRA★BRA FF公演前に書き始めたら勢い任せに書き上げてしまったお話です。

元々ディオンにがんもどき食べてもらったら面白そう(何がだろうか)と思っていましたが、おでんの具材を調べていくうちに「飛龍頭」の存在を知り、めでたく「共食い」になりました。とはいえ、漢字から考えると本当はリヴァイアサンかな?

追記(2024.10.28):再録本発行にあたり、一部修正しました(加筆はしていません)

2024.05.06 / 2024.10.28