婚礼衣装狂想曲

 はじまりは、世にも奇妙な悲鳴だった。オットーはそう述懐した。

 いや、あれは悲鳴じゃないか。なんというか、けったいな高笑いのようにも聞こえた。消え失せたはずのアカシアが襲来してきたとか野盗が侵入したとか、そういう緊急事態が起きたかと思ったが、すぐに違うと分かった。悲鳴を上げたヤツ以外はのんびりしたものだったから。もっとも、悲鳴もとい高笑いを聞いた瞬間、誰しもが飛び上がったがな。ん? まあ、情けないことだがオレも例外じゃない。ちょうど居合わせたコールなんかもぎょっとしてたな。ガブは耳を塞いでた。それくらい不気味だった。
 ヒーヒッヒッヒ! オーホッホッホッホホホッホ! イヤッッホォォォオオォオウ!
 しばらくして、高笑いは止んだ。その頃には声の主は分かったんだが、皆が凝視するなかでそいつはゼエゼエと息を切らしてた。そりゃそうだ、呆れるくらいに高笑いしてたんだから、息も切れるわな。
 いったい何をしでかしたやら。仕方ないので帳面をゴーチェに押しやって階段を下りた。
 高笑いの主はこっちに気付いたらしく、びくりと体を揺らした。そうして、おそるおそるといったふうにゆっくりと顔を上げて――。

§  §

 頭が痛い。オットーの「依頼」を受けて「現地」に向かったクライヴは思った。
 本当に痛いわけではないが、痛いような気がする。召喚獣をこの身に受け止めたときとはまったく別の部類の痛みだ。比喩表現として、痛い。
「怒ってるわけじゃない、オルタンス。勘違いしないでくれ」
 怯えたまなざしで見上げてくる彼女の気を落ち着かせようと、クライヴは両手を上げ下げした。
 これじゃまるで自分が悪者のようじゃないか、そんな考えがちらりと頭をよぎる。こちらを見つめているギャラリーの多くは既に「事情」を知っているとはいえ、なんとなく居心地はよくない。
 はあ、と溜息をついてしまう。
「やっぱり怒ってるよねえ……? そりゃそうだよね」
「だから、怒っていない。勘違いも独り合点もしないでくれ、頼むから」
 彼女を刺激しないようにことさら意識してクライヴは話す。そうして、同じやり取りを五度ほど繰り返した後にオルタンスはようやく頷いた。
 それを待って、クライヴは机の上に置かれた荷物を眺めた。何が起きたかなんて大方の想像はつくから、できることなら話を聞きたくない。とはいえ、彼女自身の口から事情を聞かないことには何らかの判断は下せないだろう。
 サロンに置かれた机の上には、一目で最上の逸品だと分かる反物が複数。
「どうして、これを?」
「持ってけどろぼうくらいの大特価だったのよ……」
 オルタンスの話はこうだ。
 かねてから付き合いのある布売り(ノースリーチのマルシェの人物とは別人だ)から便りが届いた。シャーリーに頼んで読んでもらったら、それは「閉店セール」のお知らせだった。いくつかの布見本も付いていて、心がときめいた。本当に店じまいすることが見てとれる値段の付け方に、心はますます高揚し、気はすっかり大きくなった。この布で素敵な服を作りたい、作って誰かに着てもらって喜んでもらいたい。いや、着る着ない喜ぶ喜ばないは二の次だ、とにかく作りたい。それに、あんまりにも安いから、すぐに売り切れるに違いない。これは急がないと。そんな思いで頭がいっぱいになって、気がついたら。
「【IYH】していたと」
「なんだか懐かしい響きの言葉だけど、何それ?」
 並んで反物を眺めていたジョシュアが訊ねる。博識な弟にも知らない単語があるのか、クライヴはそんなことを思いつつも律儀に返した。
「【イヤッッホォォォオオォオウ】。衝動買いしたときの高笑い……というか雄叫びというか。使い古された俗語だ」
「成程ね」
 得心した様子のジョシュアに笑むと、クライヴは腕を組んでオルタンスを見つめた。
「事情は分かったが……」
 さて、どうしたものか。クライヴは思ったが、ひとまずオルタンスの行いは褒められたものではない。彼女は隠れ家の大事な倉庫番で仲間だが、彼女の一存では決められないことも多いのだ。物資の補給は今も重要で、不要不急の高級品に手を出している余裕はない。いや、そもそも彼女がしたことは横領にも近しい。ゴーチェやデシレーはともかく、オットーが気付けなかったのは不思議ではあったが。
「オレが帳簿の数字を見落とした。すまない」
 素直に謝るオットーの横で、オルタンスもペコリと頭を下げた。完全に萎縮してしまっている。
「お買い得品はほしくなるよね。ね、兄さん」
 そんな場の空気をやわらげるためか、何らかの意図があるのか、ジョシュアに呼びかけられてクライヴは我に返った。
「まあ、な?」
 相槌を打ちながら、どうだろう、とクライヴは思う。自分には物欲はそれほどない。だいじなものは沢山あるが、何かを買って手に入れたいと強く願った経験はあまりないのではないか。
「僕にはおぼえがあるな」
「え?」
 驚いたクライヴに、ジョシュアが小さく笑う。
「ああ見えて寒がりのヨーテに似合いそうなストールを旅の途中で見つけたんだ。やっぱり店じまいするところだったんだろうね、驚くくらい値下げしていて。残念ながら僕は財布を持ち合わせていなかったから、買えなかったんだけど」
「……そうか」
 思い出話に見せかけた惚気話か。クライヴはとりあえず相槌を打ったが、少々複雑な心持ちにもなった。そうなってしまうのは仕方ない、大切な弟なのだから。今ではそんなふうに割り切っている。
「それで?」
「いつまでも顰め面していても話は進まないし、オルタンスももう骨身に沁みて分かったんじゃないかな? 悪意でやったことでもないし」
 クライヴが続きを促すと、ジョシュアは話をまとめ始めた。
「もう二度と衝動買いはしないと誓うわ……」
 ジョシュアに視線を投げられたオルタンスが神妙に言う。
「なかなか難しいだろうけどね。誠実であることと隠さないことが肝要だよ」
 頷いたオルタンスに向けてジョシュアがにっこり笑う。そうして彼は「さて」と両手を叩いた。
「せっかくだから、これは活用しない手はないね。兄さんだったらどうする?」
「活用と言われても……特に使うあてはないだろう? だったら、買い取ってくれる行商人を探したほうが」
 クライヴの回答はジョシュアのお気に召さなかったのか、彼は笑みを渋面に変えた。
「却下。大却下」
 ミドのような物言いでジョシュアは言うと、はああ、と大きく溜息をついた。これだから朴念仁で甲斐性なしは、と呟く弟にクライヴは何をどう返してよいやら分からない。
 自分は間違ったことを言っただろうか。いや、言ったに違いない。たぶん。
 裁きを待つ罪人になったような気がしながら、クライヴはジョシュアの言葉を待った。
「兄さん、ジルを連れてきて」
「……? わ、分かった」
 オットーからの「依頼」は、こうして何故かジョシュアからの「依頼」に変わった。

§  §

 ――果たして。
「皆、どうしたの?」
 せわしく目を瞬かせるジルに、さもありなんとクライヴは思ったが、何も言わなかった。というより、何も言えなかった。
 書庫で読書をしていたジルを見つけて、ざっと事情を説明した。そうして二人でサロンへと戻ったのだが、その頃にはギャラリーはさらに増えていた。
 暇人ばかりなのか? そんなふうにも思ったが、どう考えても多忙なはずのタルヤまでいるのだから、隠れ家の人々は単に物見高い連中の集まりなのかもしれなかった。
「やあ、ジル」
 にこやかに挨拶するジョシュアにジルが応じる。ジョシュアはクライヴとジルを手招くと、オルタンスを見やった。
「あのね、ジルさん。た、頼みというかお願いがあるんだけど、聞いてもらえる?」
「え、ええ。オルタンス?」
 下を向いたまま小声で話しだしたオルタンスにあわせて、ジルが腰を折る。
「もう少し大きな声で話してくれると嬉しいわ。……どうしたの?」
「ええと、ですね」
 ジルの問いかけに、オルタンスが窺うようにジルを見つめる。ええと、ともう一度彼女は呟き、やがて声を張り上げて言った。
「私に、ジルさんの服を、作らせて! できれば婚礼衣装希望ー!」
 きーん。
 ガルーダの絶叫もかくや、といったようなオルタンスの大声がサロンに響き渡った。成程、この声量で高笑いをしていたのなら飛び上がりたくもなるだろう。彼女の放った言葉の中身を理解するよりも先に、クライヴは現実逃避気味にそんなことを考えた。
「え……? わ、私の? 服を?」
「そう!」
 一方でジルは思考停止とならなかったらしい。絶叫に驚きの表情は見せたものの、彼女はオルタンスの言葉をすぐに理解したようだった。戸惑いながら問い返した彼女に、オルタンスが力いっぱい頷く。
「この素敵な布で!」
「ええええ?」
「普通の服じゃだめなの、ジルさんはどんな服装でもきっと似合うし着こなすしそれを想像するだけで胸がきゅんきゅんするんだけど私の妄想はさておいてこの素敵すぎる布は特別なシーンで使うべきそうそれは婚礼のためのお衣装なのよ!」
「こ、婚礼衣装!?」
 早口で言い募るオルタンスの言葉を受け止めきれなかったのか、ジルがオルタンスの言葉を繰り返す。そうして彼女は助けと説明を求めるようにクライヴを見上げた。
「……オルタンスの主張はそう、らしい。俺も今聞いたが」
 クライヴは口ごもった。
 自分達がサロンを離れている間にジョシュアが「よからぬ企み」をオルタンスに吹き込んだのだろうか。……それにしてはオルタンスはすらすらと話したから、単に焚き付けただけなのかもしれないが。
 にこにこと笑顔で事態を眺めている弟を軽く睨んで、クライヴは額に手を置いた。本当に頭が痛い。
 どういうこと?と重ねて訊くジルに、横からジョシュアが斯々然々と説明する。ぽかんとしていたジルだったが、オルタンスが独断で布をIYHしたことを知ると、厳しい表情をつくった。
「それは良くないわ、オルタンス」
「うん……本当に、ごめんなさい」
 しょんぼりと再び頭を下げたオルタンスに、「でも」とジルが続けた。クライヴが好ましいと思っている声色で、ジルはオルタンスに語りかける。
「私のことを気にかけてくれて、嬉しい。ありがとう」
「ありがとう、だなんて、そんな。じゃあ、採寸させてもらっていい?」
 ぱ、とオルタンスは顔を上げると、隠しから素早く巻尺を取り出した。その切替えの早さに面食らったジルが再びクライヴを見る。
「クライヴ、……ど、どうすれば?」
「どうすればいいんだろうな……」
 途方に暮れるというのはこういうことか。自分の意志とは離れたところで起きてしまっているこの状況をどうすればよいのか。ジルのみならずクライヴもすっかり遠い目になった。
「良いのでは? 順番が多少滅茶苦茶ではあるが」
 そこに、よく通る声が降った。
 声のした方を見れば、アトリウムへ続く階段に立っていたらしいディオンがこちらに向かってくる。隣にはテランス。恋人兼主人(主人兼恋人なのだろうか?)兼以下略の発言に彼は驚いたようだったが、すぐに常の平静さでディオンに続いて階段を下りた。
「いい、って。あのな」
「クライヴ、貴公の場合」
 言いさしたクライヴを手で制し、ディオンは言った。
「こういうことでも起きないかぎり、先延ばしにする性格ではないのか? 態度でも言葉でも表さず、ずるずるずるずると」
「そう、それで僕に殴られたりもしたね」
 ディオンの問いにジョシュアが付け加える。二人とも笑んでいたが、その笑みが怖い。そして、やはり頭が痛い。耳も。
 ――けれども、その言葉は真実だ。
 クライヴは瞑目すると、息を深く吐いた。
 そうして、目を見開く。
 ジルに視線を置く前に、「あとで巻き込むからな」とディオンを睨んで指をさす。そうくるとは思わなかったようで、彼は珍しく目を丸くしていた。
「――ジル」
 外野のあれやこれやはこの際すべて捨て置き、クライヴはジルに向き直った。オルタンスにあわせて座り込むような姿勢になっていた彼女を立ち上がらせ、ただ見つめる。
「クライヴ」
「……形は色々だと思う。だが、君とこれからの永の道行きを辿ることができるなら、それは俺にとっての幸いだ」
 伝わるだろうか。伝えられただろうか。
 二人とも臆病なところがある。互いに気持ちを伝えあった今でもなお。先などないのだ、永遠の別れを確信して愛を告げたあの日もそうだった。
 見つめた先、ジルの滑らかな頬を涙が転がり落ちる。目を細めて頷いたジルを、クライヴは抱きしめた。
「じゃあ、決まりね! 忙しくなるよ!」
 指笛と歓声が響き渡るサロンで、オルタンスが飛び跳ねた。


 その後――。

 オルタンスの依頼もとい指示で、衣装に縫い付けるレプリカのクリスタルビーズやらレースやらヴェールやらといった婚礼に使う小物調達にヴァリスゼア中を駆け巡ることになったクライヴが、その行く先々で経済効果を巻き起こしたりもしたのだが、それはまた別のお話。
 ジルの花嫁姿に女性ファンが急増したとか、クライヴの花婿姿にバイロン・ロズフィールド卿が号泣したとか、そういったのも別のお話。うっかり指輪の準備をし忘れて空気が凍りついたとかいうのも、別のお話。

 ――そうそう。

 巻き込まれたディオン・ルサージュがどうなったかというのも、別のお話……。

あとがき

「依頼」を受けるクライヴのお話。オルタンスの口調を確認せずに書いたので捏造気味です。なにげにジョシュア初書き。IYHは実に恐ろしいけど心躍りますね!

巻き込まれたらしきディオン(とテランス)については「夢の合鍵」という次の話にて触れています。

追記(2024.10.28):再録本発行にあたり、一部修正しました(加筆はしていません)

2024.02.25 / 2024.10.28