ディオンとテランスのランデラでの別れのシーンを入れた意味を考えると興味深く思う次第。
ディオンは16の世界で重要な人物で、クライヴサイドでは描ききれない別の角度からの「自我」形成を担当していたのかなと思っています。
思うように自分を出せない、出してはいけない、自己犠牲のつもりはないけど、辛さは常に感じていた。
自分というものを大事にしないふしもあって、テランス(やハルポ先生)がいなければとっくに壊れていたと思うのです。
それがどういう方向になったかは分からないけれども。
で、反乱と暴走の末に自分が犯してしまった罪と向き合うことになって、そのとき初めて自分という存在を認識したのかなと思うのですが、キエルとの灯籠流しのシーン→クライヴ達との合流まですっ飛ばしても物語としては成立しそう。
でも、ランデラのシーンが入った。ディオンが何を思って、大切なことや自分のことや嘘や本当を全部混ぜ込んで、「自分」を出したのかなあとか思った次第です。かなり苦しく、切なく、ちょっと待ってーと思う気持ちもありつつ、ああディオンは逃げたいけど逃げられないと思ったんだなと。相当なエゴだと思います。誰かのために、ではなく、自分のためにそうしたかったのでしょう。そして、それはFF16という物語に必要な部分(自我、という点で)だった。クライヴひとりだけでは説得力が足りなかったからかなあとか、ジョシュアについてもそういった視点でのシーンがもっとあってもよかったのになあとかも思うのですが…(ジョシュアはわざとプレイヤー視点と乖離させているというか、語り手視点なのかも)。
オリジン突入戦の後の彼の表情は穏やかで、自分を認めたんだろうなーと…。覚悟も然り。しかし、でも、そのままで終わるのはだめだ!と思ってしまうのですが…自分を認めた人がそのままエンドというのは悲しい。寂しい。現実的ではないかもだけど、物語としては逆転サヨナラホームランを放ってほしいと思います…。
2024.08.09(2024.08.22加筆修正)